ないことや、非農業用水需要の増大が見込まれることなどから、改革がスムースに進捗せず、仮に今後国内の米需要が減少し、なおかつ国際価格が強含みに推移したとしても、輸出余力は低下する、と考えられるからである。注3)
ベトナムの場合は、1988年に農業制度の改革(ドイモイ)に本格的に着手して以降、経済情勢も好転し、比較的高い経済成長率を維持してきている。農業部門も、その発展はめざましく、とくに米生産量は一貫して増大してきている(表2)。そして、1988年まで米の純輸入国であったベトナムが、89年以降は100万トンを越える米の大輸出国に転じている。
この間、稲の作付面積は、1985年の570.4万ヘクタールから95年の676.6万ヘクタールヘ19%増加し、収量水準も2.8トン/ヘクターから3.7トン/ヘクタールヘ32%上昇した結果、生産量は1587.5万トンから2490.4万トンヘと57%も大幅に増加している。一方、この間に水田面積はむしろ減少しているので、灌漑面積の拡大による多毛作化と収量の増加によって生産増大を達成しえた、といえよう。
これを、主要稲作地帯の、紅河デルタとメコン・デルタそれぞれについてみると、紅河デルタでは10年間で作付面積がむしろ減少しているにもかかわらず、収量水準が51%上昇したことにより、生産量は50%増加している。これは、90年代に入り従来の冬作から収量の高い春作へとウエイトが移り、高収量品種の導入と肥料の増加が進んだこと、冬作、春作とも収量が著しく向上したこと、などによるものと考えられる。注4)他方、メコン・デルタでは収量水準の上昇は30%程度と紅河デルタよリ低かったが、作付面積が40%以上拡大したため、生産量は2倍近くにも増大した。このように順調な発展を遂げてきたデルタの稲作であるが、今後の見通しは必ずしも明るくない。
紅河デルタについては、灌漑未開発農地がほとんど残されていないこと、収量が既にかなり高い水準に達しているため90年代前半と同様の生産性向上は望めないこと、などから、従来のような生産増加は期待できないという見方が一般的である。また、メコン・デルタの場合は反収の増加率が、70年代、80年代、90年代と徐々に低下してきており、このことは、高収量品種の導入を軸とした新技術の普及が一巡し、技術進歩が停滞してきていることを示唆している。これに加えて、後述するよ