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次は1995年夏の韓国におけるシー・プリンス号の写真である。1995年8月初にヘリコプターから撮影したもので、機関室の部分が爆発炎上した跡があり、事故後2週間のこの時点でもまだ油が海面に黒く筋になって流れているのがわかる。

この時にはシンガポールからEARLがC-130輸送機で飛んできて、もっと沖合いのほうで処理剤を散布したということである。

石油連盟の資機材は、門司から韓国の釜山までフェリーで運んで、フェリーで運んだものを向こうで二つのバージに乗せて、それぞれ一つのユニットを作った。バージに乗っているのはオイルフェンスと油回収機のセットだが、これに小型のタンカーを横付けしてオイルフェンスを展張し、回収機を作動させて流出油をタンカーに回収するというシステムで動いた。

ただこのシステムが現場に到着した時には、実際には油が沖合いにはなく、浅瀬に漂着した段階であったので、結局ビーチクリーナで回収するということで、1ヶ月くらいかけて700tほどの流出油を回収することができた。当連盟の資機材の海外貸し出し第1号であった。

それ以外にも、1993年1月のマースク・ナビゲーター号事故の時にも、国内の基地から飛行機で運ぼうということでスタンバイをしたことがあった。ただそれはスタンバイでとどまった。

さらに1994年3月に、セキ号がアラビア半島フジャイラの沖で衝突した事故があったが、このときにはサウジアラビアのカフジ基地の資機材をフジャイラまで持っていこうということでスタンバイした。実際に運んでいたら通関事務に大変手間取ったと思うが、この時もスタンバイだけで運ばないで終わっている。

したがって大きな事故で貸し出しをしたのはシー・プリンス号と今回のナホトカ号、それから7月のダイヤモンド・グレース号だが、ダイヤモンド・グレース号は当初15,000kL流出ということでびっくり、また暫く眠れない日々が続くかと思っていたが、幸い量が少なくて済み、貸し出し用資機材も早急に引き揚げることができた。

いまは大変静かになっており、この静穏が続くことを望みたい。

以上で私の説明を終わらせて頂く。

 

 

 

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