家族の援助が期待できれば、それに越したことはありません。実際、家庭にいてもそれなりのお金はかかるのですから、不利な障害をもつ身内の自立生活のために、家族の幾らかの援助があって当然でしょう。兄弟たちが月々の経費を出しあって、グループホームに生活する重度障害をもつ人の例もあります。
行政のグループホームへの補助金は、援助を受ける個人ではなく、援助を与える運営主体へ支給される形で進められてきました。つまり、それは運営費に限られていて、個々人の生活を助けるものではないのです。しかし、大阪市では、年額最高210万円の補助金を上乗せして、その使用を運営主体の自由な裁量にゆだねています。
(3) 生命と財産を守る手立て
グループホームで生活する人は、自分の生命や財産を自分で守らなければなりません。つまり、援助をする人にその責任を押しつけることはできないということです。これは、グループホームの入居者は地域の普通の住民と同じだと考える、この制度の大きな特徴です。
しかし、障害の重い人が、自分の生命や財産について、どこまで責任がもてるのか。本人の判断能力や決定能力、そして責任能力をどこまで信頼できるのか、問題があるでしょう。だからといって、援助する人にそれをすべて委託代行させるのも、また問題があります。
このために、大阪市は昨年(平成9(1997)年)の秋に、大阪府と共同運営で、権利擁護を主とした第三者機関を設置しました。しかし、まだ施策が不十分なために、実効には至っていないようです。それよりも先に、いくつかの運営主体は、バックアップ施設を中心に世話人を含めた数名のチームを組んで、本人のこれらの能力を補う体制をすでに組んでいます。この点における運営主体の責任は重大です。
5. どのように暮らすのか、その2
―大阪市のグループホームの展開―
(1) 4人の同居者を集める難しさ
国の制度は、グループホームに生活する人の数を原則として4人と定めていますが、大阪市では7人まで認められて、それに補助金が上乗せされます。
ところで、家庭的な営みは、どのような形であれ、親しい者同士の集まりでなければなりません。しかし果たして、一緒に暮らしたいと思うほどの、4人以上もの仲間を集めるのは、だれもが簡単にできることでしょうか。まして人とのつながりが苦手な人たちにとって、それは至難のことではないでしょうか。実際に、親しい4人が集まって生まれたグループホームは数少ないと思われます。
グループホームは、施設のように押しつけられて入るのではなく、そこで暮らしたいと本人自身が望むものでなければなりません。にも関わらず、本人たちが自分で仲間を作れないために、援助者がいきおい同居者を一方的に決めてしまう場合がよくあるのです。それでは、本人の自由意志で始められるはずのグループホームの暮しは、押し着せの施設のそれと何も変わらない、ただ施設を小さくしただけのものになってしまいます。それはグループではあっても、もはやホームではないでしょう。
この間違いを無くすために、大阪市では、あらかじめグループを二つに分けて、2人で生活する方法があちこちで試みられています。4人の仲間を集めるのは難しくても、2人の仲間は彼らにも作れるのです。