もう12時近くなのに皆心配で寝つかれず、ベッドの中で目を開けています。「ありがとう、もう安心していいよ。」と、私もMさんの傍らに布団を敷きました。まんじりともしない中、Mさんのブウというおならや寝息にホッとして思わす涙が出てしまいました。
次の日再来院して脳波検査も受けましたが、やはり異常なし。「てんかんだともいえないが、今後も起こる可能性もある」とのこと。
悪夢のような2日間が過ぎても、胃がキリキリし、背中に鈍痛が走ります。こういう時、私はホーム連絡会の仲間に話を聞いてもらいます。私の咄嵯の判断、行動がどうだったのか、今後どうすればいいのかなど、いろいろ貴重な助言をもらいました。
他のホームでも、このような非常事態を経験しなかったところはないといってよいでしょう。ホーム内外でのケガや事故・急病に対応するのは世話人1人では限界があります。
ところで、今年は『3月で世話人をやめます』という賀状が2通も舞い込みました。この他にもやめる仲間がいます。なぜ?とがっかりして、彼女たちに話を聞いてみました。まとめてみると次のような理由があることが分かりました。
?@自分の力の限界を感じた。メンバーに振り回され対応に悩んでいる。他人の目がほしい。バックアップしてくれる人の指示に納得がいかない。
?A拘束時間が長すぎる。同居をやめて通勤にしてほしいと申し入れたが、認めてもらえない。
?B身分保障がない。地域によって委託費の格差が大さい。
彼女たちが、内心はやめたくなくてもやめようと決心した最大の理由は、たった1人で3〜4名のメンバーを24時間、一切がっさいを支えていることの重圧と緊張からくる精神的、肉体的ストレスといってよいのではないでしょうか。そして、それが積み重なった結果としか言えません。これはもう私達の職業病です。
では、なぜ私が12年間も世話人という仕事を続けることができたのでしょうか。
初めの頃、旧友にグチをもらしたところ、「そんなに大変ならやめたら。」と言われ、「そうなんだ、やめることもできるんだ。」と、それまではこの仕事を引き受けたからにはやめることはできないのだと、思いこんでいた自分に気づくと、不思議に元気が出てくるのでした。もともと、何事につけプラス志向に受け止め、クヨクヨ気にしない性格だったとはいえ、44歳の時に行き着いた最後の仕事と腹を据えた私です。若い世話人のグチも聞ける年まわりにもなりました。「私も前は同じ悩みをもっていたのよ。」、と言いながら、今ではこんな風につけ加えることができます。「この仕事を媒介にして、メンバーたちが私のいろんな良さを引き出してくれるのが本当にうれしい。私の朗らかさ、それを彼女たちに投げかける。するとすぐに彼女達がそれを投げ返してくれるのがまたうれしい。そしてもっともっとお互いが好きになっていくのが分るんだもの……最高!」と。
4. 今後の展望と課題
(1) 居住について
生活ホームが多様になっていくのにしたがって、居住形態も多様になっています。そして都市での住宅確保の困難さが、制度を柔軟に活用しようとする運営側の創意工夫と実践を生み出しました。
川崎市内の31ヶ所の生活ホームを形態別に分けると次のようになります。
?@一戸建てやマンションに4〜5名で住むもの20ヶ所
?A2DK2ヶ所に女性2名ずつ住むもの2ヶ所