施設では何もできないと思っていた人達がいろいろできるようになったり、何もしなかった人が一生懸命手伝うようになったり、環境が変わることによってそれぞれが少しずつ変わっていったのです。買物もメモを持って近くの店に行けば、お金は店の人が計算してくれます。町内の集まりに出て行けば「桑の木さん来んさったか」と声をかけてくれます。クリスマス会には近所の人達を招待し楽しく過ごします。
「ここは一人部屋でいいね」
「おうちの風呂のように小さいからいいね」「ずっとここにおれたらうれしいね」
と満足そうに言う彼女達の顔は明るく生き生きとしています。
当初不安だった職員も彼女達との生活に慣れ、“自分達の生活は自分達で”の目標が達成されてきた時、この自立棟での生活も終り近くになっていました。
「最初は不安で眠れず、自分の思うように動いてくれない彼女達。腹がたって腹がたって泣いたこともあります。しかし、いま終ってみれば、あっという間の1年で、楽しいこともたくさんありました。彼女達と別れるのが悲しく涙がでます。本当に体験できないことを経験し、すごくよい勉強になりました」と職員は泣きながら報告してくれました。彼女達の思いと職員の思いは違いました。職員は「ずっとここにおれたらいいね」という彼女達の言葉に戸惑いました。何とかこのままの生活を続けられればという思いと、これでやっと自分の責任が果たせた喜びで、複雑な思いであったと思います。
(2) 生活訓練棟(三隅荘)図1-(2)
生活体験棟(自立棟)での生活を体験した人達の「もっと自立棟での生活がしたい」という声、保護者の「交替ではなくずっと自立棟での生活をさせてやりたい」という意見があって、三隅町出身の3人の保護者と法人がお金を出し合って建てたのが「三隅荘」です。自立棟の横に3部屋と台所、それに玄関をつけ、自立棟を体験した人達ができることは自分達でやりながら、隣の担当職員の手助けで生活を続けることになりました。
その後、「三隅荘」は特定の人達だけ利用するのはおかしいとの保護者の意見で、社会自立を目指す人達の生活訓練の場として利用することになり、就労前の人達を対象に現在も活用しています。
(3) ケア付住宅「希望の家」
この家は施設の近くにある住宅団地の中の美容院を、卒園生4人と法人がお金を出し合って買った家です。入居する人は、年齢が高く家族のいない人や、兄弟が遠く生活の面倒がみられない人達4人で、生活援助や建物管理を法人が行います。
将来この家が使えなくなった人がでてきた時のことを考えて、購入費を20年で割って1年分の金額を算出しました。次に入居する人が、前の人の年数分の金額を引いた残りの金額を払うことにしています。
世話人は施設の嘱託職員が兼務し、世話してもらう時間分の費用を4人が負担します。この家は原則として、40歳以上の人達から希望者を選び、将来の高齢者住宅のモデルケースとして出発しました。
(4) 「幸生の家」
親なきあと自分達の子供が安心して生活が出来る家がほしいとの希望から、施設職員の土地を借り4人が年金を出し合って建てた家です。保護者の希望で4人の名義で建物登記をしました。もしこの家を何らかの理由で出ることになった時には、20年償却で計算した残りの期間分、次に入居する人が居住権を買う方式をとることにしました。
生活援助は生活ホームの世話人(施設職員の奥さん)にしてもらいます。島根県の生活ホーム補助制度が出来るまでは、謝礼程度を本人達が負担しました。