流れるもの
別役実
いつかテレビで、キャンピング・カーで全国を移動しながら生活する、アメリカの老夫婦の話を見たことがある。もちろん、各地にそれらしいたまり場があって、それらを点々と渡り歩いてゆくのだが、時間の時間の大部分は移動しているのであり、そうした「流れ」の中に住みついた人々、ということが出来るであろう。つまり、その種の移動過程そのものが、その人々の「街」なのである。
1930年代、これもアメリカの話であるが、「ホーボー」と呼ばれる一群の人々が、ステッキの先に荷物を結びつけ、貨物列車に無賃乗車をしながら、全国を流れ歩いていた、ということもある。気に入ったところで下車し、そこでちょっと働いて、また貨物列車に飛び乗るのである。これらは家族持ちではなく、ひとりもののホーム・レスのようなものであったが、これらもまた「流れ」に住みついたものだったに違いない。
我国は定住性の強い国民であり、こうしたいわば「流れもの」に対しては、やや特殊な見方をしがちであるが、ここ近年、様相は少しく変わりつつある。それは、一般によく言われているように、人口の「農村離れ」や「都市集中」が促した傾向かもしれない。「流れ」の中に住みつく、とまでは言わないにしても、定住することに対する或苛立ちのようなものが、そこはかとなく匂うのである。
たとえば「引越し好き」というものがいる。ひとつのところに落着くことが出来ず、すぐまたどこかに引越したくなるのであり、それをとめどもなくくり返すのである。これは恐らく、定住民であることから、「流れ」をすみかとするものへの、変化の兆しに違いない。今のところまだ、「流れ」をすみかとするものは、定住することの失敗者である場合が多いものの、間もなく、求めてそうするものが出てくるかもしれない。
携帯電話をもった人々が増え、それらが街のあちらこちらで、歩きながら、もしくは乗りもので移動しながら使用しているのを見ても、そのことを強く感じる。かって電話というものは特定の場所に固定されていたように、我々の生活には常に「定点」というものがあり、「浮遊点」として移動しなければならない時も「定点」を通じてそれを確かめることができたのであり、そこに結びついっていたのである。
しかし、携帯電話で移動しながら連絡しあっているものは、そうではない。それらは「浮遊点」同志であるから、如何なる特定の地点とも結びついていないのである。このところ、「おやじ狩り」というのが都市の暗部で流行しているが、これは携帯電話で知り合った若ものたちが、深夜これと見定めた帰宅中の中年の男を、携帯電話で連絡をとりながら次第に追いつめ、金品を奪って逃げるという犯罪である。これこそ、「浮遊点」であることに、もっとも典型的に鼓舞された犯罪に違いない。
携帯電話を持つことによって人は、たとえ定住することをやめなかったとしても、ほとんど「流れ」をすみかとするものたちと同じ生活感覚を身につけることになる。つまり、我々が好むと好まざるとにかかわらず、現在都市集中型の文明は、そのような崩壊過程を抑えつつある、ということではないだろうか。「風の中之街」は、「風」という一種の「流れ」をすみかとする人々のことを描いたものであり、これはまだ携帯電話も普及しておらず、人々の「浮遊点」としての自覚もまだはっきりしていない時代のことで、いわばかっての「旅芸人」の風俗を似ていないこともないが、にもかかわらずドラマの基軸は、同じところにある。つまり、「流れるもの」と「住まうもの」とのドラマであり、その消長である。
もちろん、今日の都市集中型の文明は、「流れ」をすみかとするものたちの生活を許容するほどのゆとりを持っていないから、道路はすべて移動するのみの場所となっており、アメリカのようなキャンピング・カーのたまり場すら、制度化していない。「流れ」をすみかとしようとするものたちが、勢い犯罪者にさせられてゆくのは、そのためもあると言っていいだろう。
四国八十八ケ所の巡礼道は、このところ「観光」の名のもとに、何とかその存在意義を認められはじめているが、まだその大部分は自動車道なのであり、巡礼者はそこをすみかとするより、ほとんど追い立てられているのである。というわけで、「流れ」をすみかとしようとしている人々、もしくはその傾向を無意識にうちに抱いている人々は、現在、それとなく息苦しく感じとっているはずである。
「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也」と、芭蕉は言っている。この視点に立てば、携帯電話が出るはるか以前に、我々は「浮遊点」意識を持っていた、ということになる。
〈劇作家〉