◎編集後記◎
■第二回フォーラムを終えて
「真の日本のフィランソロピーを求め、そのための指標を見出す」――これがFORUM Em.Bridgeの究極の目的である。二回目である本会議は、前回の「公と私」をテーマとする討論を、三ヵ年計画の最終回にあたる来年のフォーラムに結び付けるための架け橋であり、会議のフレーム作りではいかにフィランソロピーという概念を掘り下げていくことができるかが課題であった。最も懸念したのは、新聞にさえほとんど出てこない「フィランソロピー」という言葉を前面に出してしまうと、多分野にわたる参加者からの強い興味をいただけないのではないかという点であった。
しかしその心配は杞憂に終わった。二日目の会議はほとんど「個」と「フィランソロピー」を縦糸と横糸に絡めながらの展開となったが、その熱気迸る議論を目の当たりにして、いかに「フィランソロピー」が次の時代を考える上でのキーワードとなっているかを強く再認識する思いであった。
今回の議論では結論というものは出ていない。しかしフィランソロピーをどう捉えるか、どう考えていくべきなのか、その方向が少しずつ定まっていくような手応えを十分に感じた。今や時代は、この言葉を抜きにしては語れない。この確信をもって来年度の集大成に取り組みたい。(相澤)
今回のフォーラムが開催されたのは長野オリンピック閉会式の数日前。一泊二日の予定には、昼は会議、夜はレセプションなどがびっしりと組まれ、少なくとも自分にはTVを眺める余裕などとてもなさそうでした。「果たしてオリンピックよりもこのフォーラムに参加していただくことができるのだろうか」と心配したものでしたが、無事多くの方にご参加いただくことができたことを大変感謝しております。参加者の皆様、本当にありがとうございました。 (柏田)
FORUM Em.Bridge 趣意書
Em.Bridgeとは、″目に見えないさまざまな橋″をかけるという想いをこめて造られた言葉であるが、その橋のひとつにフィランソロピーの橋がある。
現代は工業社会の成熟期、そしてそれはやがて来る筈の脱工業社会に続くと期待される。しかし、その道筋は必ずしも平易ではない。昨今しきりにいわれるパラダイムシフトという言葉は、工業社会と脱工業社会との間にしっかりした橋をかけなければならないことを示唆している。たしかに現代社会には、″あまねく平等に″をよりどころとする政府による活動と、″利潤″を至上目的とする企業による活動がある。しかし、これらの活動のみでは、現代のような多元価値社会の中で弾力的に対応することは難しくなってきている。
欧米、特に英、米の国々では、はやくから第三のセクターである民間の非営利活動すなわちフィランソロピー(活動)が活発であり、それが社会を柔らかくする効果を大いに発揮している。一方、日本はそれが欠けている工業社会である。そこで、私達の社会がスムーズに脱工業社会になってゆくために、目に見えない橋の一つであるフィランソロピーという橋をかけることをしなければならないと考える。
現代は好むと好まざるとにかかわらず、さまざまの関り合いが深まらざるを得なくなってきており、地球社会ともいうべき広がりが形成されつつある。たしかに、世界には多くの民族があり、多くの社会が営まれ、多くの国がつくられている。それぞれに歴史、文化は伝統を持ち、価値観も異なっている。ニーズも極めて多様であることは言うまでもない。しかし、各地で起こっている紛争を見てもわかるように、それぞれの間に必ずしも橋がかかっているとは言えない。
私達一人ひとりが、良き地球市民のさきがけとなるために、どのような橋をどのようにかけるべきか、自らの手でそれを見極め、そしてそれを自らの手でつくることをはじめなければならない。
このような目的意識から、学識経験豊かな、代表的な知的先覚者を毎年諸外国から招き、関連分野での日本の関係者との間で討論を行い、将来の方針を見出していく場としてFORUM Em.Bridgeを位置付けていきたいと考える。
本フォーラムが豊かな21世紀を迎えるための、一つのメッセージを発信できることを期待したい。