山田厚史(朝日新聞経済部編集委員)
河合隼雄さんの、軽妙で的を得た語りがとても印象的だった。いろいろおもしろいお話をうかがったが、「教育方針右傾化の法則」は、うまいことを言うもんだ、と特に感心した。
文部省の教育方針が、都道府県教育委員会から市町村教育委員会、学校という行政ルートを下るにしたがい、もともとの概念を超えて「右翼的色彩」が濃くなる、という河合理論である。一年間、PTA活動に携わってみて、その通り、と納得がいく。日の丸・君が代だけでなく、心の教育、自ら考える子供、などの「教育のお題目」は、現場に降りてくるほど頑なで柔軟性を失っている。教育委員会という戦後民主主義が生み出した制度が、当初の理想とは正反対のものになってしまった。
上から与えられた課題を、自分に責任がかからないよう「手堅く」解釈していく結果、どんどん右側にずれていく。お役所の事なかれ主義が現場の石頭を生むのである。「自ら考える教育」までオウム返しに語る人々に、子供たちを任せておけるだろうか。
教育を学校に「お任せ」してしまっている親にも問題がある。任せておいて結果だけを批判しても始まらない。個性を伸ばす教育を望むなら、親は教育現場に参加することが必要ではないか。特に男親が。
学校は「正解」を求め過ぎているように思う。全てのものに正解があって、あてなければいけない、それにそわなければいけない、という空気が強い。
そう思いながらもセンセイには自信がない。世間をあまり知らないから、地域社会や親と正面から向い合うことが苦手な人が少なくない。事なかれ主義や硬直した姿勢を、世間に見せまいと閉鎖的にもなる。男親の「乱入」は、その壁を崩す可能性を秘めている。
親が仕事場でどんなことをしているか、それを語るのもいい。子供だって親の姿を知りたいはずだ。教師も「外の世界」には関心がある。課外授業だけでなく、社会科や理科の授業にふさわしい仕事をしている人はいくらでもいる。国語や算数も親が授業する時間があってもいい。
「正解」を手っ取り早く求めるのではなく、自分なりの「仮説」を打ち立て、それが説得力をもつか、論理的であるか、議論の中で検証する訓練が個性を磨くうえで必要だと思う。親も参加してみてはどうか。
そうした経験を土台に教師と親が語り合う。踏み出すには、学校側にも親の側にもちょっぴりの勇気と時間の工夫が必要だ。要はやる気と、教育の危機をどれほど感じ取っているか、である。