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く同感ですが、とりわけいちばん最初におっしゃった体験教育ということは、非常に大事なことだと思います。

ここのところ、少年たちによるナイフ事件が方々で発生していますでしょう。親たちは刃物を持たせないようにと言っていますが、私は逆だと思います。

私どもが小さい頃は、切出し小刀や肥後守といったものが常に筆箱のなかに入っていました。それで鉛筆を削ったり木工をしたり、悪戯で学校の机の上に何かを彫ったりもしたわけです。その過程で怪我をしなかった子はいないんですね。だいたい指を切ったりしている。子供たちは刃物の恐ろしさを自分の身体で知ったものです。その頃は親や先生もわりあいのどかで、「そんなもの赤チンでもつけておけ」ぐらいで済みましたしね。

今の子どもたちは鉛筆削りを使っているから、ナイフを持ったことがないでしょう。刃物についての体験ができていないところに突如持つから、問題が起きてしまう。だからむしろ、子どもには切出し小刀を持たせて、鉛筆を削るところから始めなくてはいけないと思います。小さな体験ですけれども、そういうことのほうが大事ではないでしょうか。

いまの子どもだけではなく若者も全部含めて、「体験」はないけれども「経験」だけは豊かなんですよ。経験には、本で読んだものや他人の体験も含まれますから。テレビを見る、テレビゲームをする、インターネットを使う、これらは全て経験というか「疑似体験」ですよね。疑似体験の世界で生きている人間が、いきなり現実に放り出されると、シミュレーターでしか飛行機の操縦をしたことのない人間が本当の飛行機を操縦できないのと同じようなことになるのではないか。

ですから、子どもはもっと「体験」すべきですね。子どものみならず大人もそうですけれども。しかし、体験しようにも、今は体験の場が商業化されてしまっています。今度の日曜日、どこに行こうか」というと、「ディズニーランドに行こう」と。ああいう体験では困りますね。

先ほど樋口さんのおっしゃった「山谷」の貧しい人たちとか、あるいは……

樋口 山野を駆け巡るというか。

加藤 山村で蕎麦を作っている人たちのところへ行くとか、いろいろ体験するところはあると思うんです。樋口さんは私より先輩ですけれども、私たちの子どもの頃、たとえば町内というのは体験の場でしたよね。

樋口 全てが体験に結びついていましたね。

加藤 隣近所のおじさんやおばさんがやっていることを見ながら、こういうときはこうすべきだということを学んだし、悪戯すればお向かいの人にどやされたりしながら、育ってきたわけです。

樋口 隣組というか、学ぶ場は町内にたくさんありました。町内で組みまして、隣の町とケンカをするときは、まず弱い者は外れる。で、強いものが出てこいということで、まずロゲンカが始まるわけです。最初ら殴り合いはしませんよね。ロゲンカで終わることが九割ぐらいだっ

 

 

 

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