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て、日本人が「個人」とか「自我」をどのように考えてきたかを検討してみよう。西洋は長い伝統のなかから、近代になって「自我の確立」「個人の自立」などという考えをもつに至った。しかし、日本ではむしろその逆の考えを大切にしてきたのではないだろうか。そのことを日本人に強い影響を与えた仏教の教えを中心にして簡単に述べてみたい。

まず仏教においては、多くの宗派に共通に「自性がない」ことが強調される。すべてのもの(生物も含む)について、その本来的性質がないと考えるのだから、人間にとっても、ある個人の「自我」があるなど考えられない。「自性がない」という真理を悟るために、人間には修行が必要である、とされる。しかし、そんなことを言っても現実に個々の人間や事物は異なっているし、それぞれの性質をもっているように見える。これをどう説明するのか。

これに対しては仏教の宗派によって説明は異なるであろう。ここでは華厳(Hua-yen)の考えによって簡単に説明する。西洋近代の意識は、ひたすらものごとを区別し明確にすることに努めてきた。自と他、精神と身体、などなど。これに対して、仏教の意識はそれらの区別を取り払うことに努めた。修行によって獲得した日常生活とは異なる意識によってみるとき、一切の区別は消え失せて、「存在」としか呼びようのない世界が現前してくる。これは名づけようがないので、仏教の宗派によって「無」とか「空」とか呼ばれる。しかし、これは何も無いのではなくて、逆に、すべてなのである。このような世界のなかで、人も物も「自性」を失う。これが世界の真の姿である。

このような「存在」が、この世に顕現してくるときに、個々の事物や人の形をとるが、それは「存在」の「挙体性起」であると考える。つまり、いかに微細なものであれ、それはもとの「存在」がすべてをあげて顕現してきているのである。これは「塵のなかにも三千の仏がある」という表現で説かれるときもある。存在の挙体性起でありながら個々のものにどうして違いが生じるのか。それは個々の関係によって異なってくると考えられる。

Aという存在は自性をもっていないが、B、C、D、…・などすべての関係の在り方によってAであり得るし、BもBとしての自性をもたないが、A、C、D、…・との関係の在り方の総和によってBであり得る。西洋においては、個々のA、B、C、の存在の区別を明確にし、後にその関係を考えるのに対して、華厳仏教においては、関係が個々の存在に先行するのである。

前記の簡単な説明によって見ても、仏教は個々の人間が異なることや、個々の人間が「自我」の意識をもつことを、否定しているのではないことがわかるであろう。ただ、「我」という場合に、一度その否定の上に立って「我」を認めているのである。「我」は他と異なることを否定もしていない。しかし、「我」を常に他との関係において見るべきだとしている。

仏教の考えは誤解され、単純に「我」を否定することをよしとする教えになったりする。このことは、「自殺」を許容する傾向と結びつくこともある。あるいは、個人の欲望の充足よりも否定の方に高い価値が置かれ過ぎることにもなる。仏僧は「我欲を去る」ことを強調し、それを徹底することによって悟りを得るとも言う。しかし、これは極めて実現性の薄いことである。

先に述べたような仏教的な世界観が、戦後の民主主義の思想と合体すると、すべての人間は没個性的に平等で、努力さえすればすべての人間は東大に入学するはずだ、という考えになってくる。それに、存在がこの世のものに挙体性起してくる、という考えは、どんな人間でも正しい「型」を身につけると、他より優れたものになる、という考えに結びついてくる。戦後になって、個人の自由が尊重されるようになったとき、多くの人が努力して、何らかの「型」を身につけようとし、指導者も「型」を押し付けようとするので、個性が壊されるということが起こった。現代の日本の教育の問題の背後には、このような考え方がはたらいているように思う。

 

5. 個人を支えるものは何か

どのような考え方をするにしろ、個人を大切に考え、個人のもつ能力をできる限り発現するのをよしとする場合、結局のところは個人は死ぬのであるから、「己の死」ということをその考え全体のなかに何らかの方法で位置づけることが必要である。このことを忘れていると、その人間が元気なときはよいが、老いや死が近づいてきたときは、極めてみじめな思いをしなくてはならないだろう。

「死」を超えて個人を支えるものを見出すことは、既に述べたように、個人主義が利己主義になることを抑制することにもなる。

キリスト教を信じる人は、そのなかから生まれてきた個人主義を生きていくことに、あまり問題を感じないことであろう。キリスト教文化圏にいて、キリスト教を信じられない人や、日本人の大半は、個人主義をもし取り入れるとすると、それを支えるものを見出すという大きい課題を背負っていることを

 

 

 

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