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参考資料

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国名 パキスタン・イスラム共和国

英語名 Islamic Republic of Pakistan

独立年月日 1947年8月14日

国連加盟年月 1947年9月30日

主要国祭日 3月23日(パキスタン・デー)

地理・気候・風土 パキスタンは,中近東地域と南アジア地域を結ぶ,極めて重要な位置を占めている。国土の中央を南北に縦断して,古代からいくたびとなく民族の興亡の舞台となったインダス川が流れている。北辺にはヒマラヤ山系の山脈が運なり,―国の南端近くには北回帰線が走っている。

この国は,緯度から見ると亜熱帯気候に属しているが,風土は一般に高温乾燥していて雨量が少ない。また,地域により幾分異なってはいるが,6〜7月頃に猛烈な砂嵐が吹き,それと前後して雨季(モンスーン季)に入る。9月からは快晴の日々が続き,10〜11月は清涼な絶好の季節となる。国のなりたち パキスタンは,モヘンジョダロやハラッパなどの古代都市文明(インダス文明)が生まれ,大乗仏教の源であるガンダーラ仏教文化が栄えた古い歴史をもっている。

イスラム教文化は,8世紀シンドナが方に侵入したアラブ人によりもたらされ,16世紀以後200余年続いたムガール帝国の下で住民の間に浸透した。

ムガール帝国は,1857年のセポイの反乱が鎮圧されると同時に崩壊し, 1876年にはイギリスがインド・パキスタン亜大陸の支配を確立した。その後独立闘争の過程でヒンズー教徒とイスラム教徒の対立が深まり,全インド・イスラム教徒連盟はインド人イスラム教徒の国家「パキスタン」の建設を1940年の年次総会で決議,47年モハメッド・アリ・ジンナーの指導の下に独立を達成した。

このとき,パキスタンはインドを中にはさみ,東パキスタン(現バングラデシュ)と西パキスタンの2地域からなっていたが,1971年に東パキスタンは東西パキスタンの政治的・経済的格差を原因として分離独立(バングラデシュ)した。

政治・経済 イスラム教の聖典コーランとスンナ教祖の言行)に従い,議会制民主主義を基礎として統治される連邦国家で,行政の全権は大統領に集中している。ジアウル・ハック大統領は,77年反政府運動が激化したさなか,軍部のクーデターで政権を握り,戒厳令を布告して事態の収拾にのりだした。同大統領は,イスラム秩序に基づく公正な社会の建設を目標に,イスラム刑法やイスラム福祉税を導入して,治安の回復,政府の綱紀粛正などに成果をあげた。外交面では,イスラム諸国との友好的連帯関係を強化するとともに,非同盟諸国との協力を深め,大国とは国益優先の等距離外交を行っているが,隣国インドとはカシミールをめぐり係争中である。

経済は,農業とその関連産業が基盤であるため,農業生産高,特に綿花の作柄が経済の動向に大きく影響している。工業部門も伸びつつあり,公営企業のほかに民間経済活動も重視されている。数次にわたる経済5か年計画では農業の開発と近代化を優先し, さらに,経済のイスラム化をめざし,無利子金融制度の導入が図られている。

社会と文化 この国はイスラム教の宗教原理に基づいて誕生したため,国民生活はイスラム教の伝統と影響力によって強く支配されている。現政権は,イスラム教の伝統や慣習を制度化する動きを示しており,宗教的色彩が一段と強まっている。しかし,スンニー派とシーア派の両宗派間の摩擦,民族的対立などの社会問題も潜在している。

日本との関係 両国関係は,貿易,経済技術協力を中心に順調に発展している。パキスタンへ流入したアフガニスタン難民救済の援助も,わが国は率先して行っている。

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