例といえよう。剖出や同定作業において彼らの助力が無かったなら、予定の期日までに解剖実習を終えることは不可能ではなかったかと思われる。また、些細なことだが、実習作業中彼らと交わす雑談が無かったなら、仮に完璧な予習を行った上で(即ち技術的には独りで作業ができる状態で)実習に臨んだとしても、最終回までこぎつけられたかどうか自信が持てない。技術的な面は当然として、それ以外の面でも独りではできない経験であったと思う。
十一月十二日以降の約四ヶ月は楽な日々ではなかった。しかし解剖学の知識以外にも、教室で講義を聞いたり、独りで机に向かうことによってでは決して得ることのできないものが得られた日々であったように思う。知識の習得の不十分さなど、故人の意志に十分応えたとはとても言い難いがこのような機会を与えてくださった故人そしてご遺族の方々に対する感謝の念を忘れずにこの実習で得たものを無駄にしないよう努めていこうと思う。
解剖実習を終えて
山本 夏季
午後六時を過ぎているというのに、まだ窓の外は少し明るい。そういえば、庭の梅も咲いていたような……季節はもう春なのだ。解剖実習と共に私達は冬を超えた。本当の意味での実習最終日となった今回、御遺体を柩におさめながら様々なことが思い出された。