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ていた。しかしその一方で、これで伯父さんはようやく家に帰れるのだ、よかった、とも感じていた。この日私はこんなメモを書いている。『……ライヘに勝手に親近感を感じたりしていた。図々しいことかもしれない。……でも祭壇に参る時には、ありがとうございました、と自然に思っていたけれども。……今まだ私は伯父さんの顔を覚えているけれども、ずっと覚えていられるだろうか。忘れてはいけないな、と思う。……解剖″ちゃんと学んだ″だろうか。知識のことではなくて(それはやはり反省があるけれど)解剖する、ということに対する姿勢について。でも多分あるとしたら、後悔はやはり知識そのものに拠っている。連日、もっと死にそうに予・復習すべきだった。伯父さんに勉強させてもらえることはしつくすんだった、という気持ちだ。早いな、もっと実習したい、というのは、不心得な学生の台詞でしかないわけだ。伯父さん、ごめんなさい、と、こう考えてくると思う。私がいくら伯父さんに感謝し親近感を持っていても、そんなことには何の意味もないのだ。伯父さんはこうしたことも全てわかっていたのかもしれないけれど。……この文章、後日読み返すと、解剖をするということに対する私の姿勢、単純な混乱が示されていておかしいのかもしれないけれど、今はまだ、こんな文章しか書けない。』

この日から一ヵ月、このメモを見ながら今ではこう思う。重く捉えるべき感謝と責任を、安易な親近感を理由に自らに免責してしまったのかもしれない私は、献体してくださ

 

 

 

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