人の為に
豊泉 真一郎
私がこの実習を通して、 一番強く感じたのは、「人の為に」ということでした。しかし、「人の為に」何かをしたとしても、そこに見返りを期待する気持ちを持った時、それは「自分の為」の行為となってしまう。「人の為」これは一見易しそうに思えるが、実際はとても難しいことです。私は篤志献体こそ、完全に「人の為」と言える行為であると思う。
解剖体は、生前ご本人が自分自身の死を見つめ、死後に自分の体を私達学生の人体への理解を深める為に献体を決意した方々です。そこには見返りを期待する気持ちなど全くなく、あるのは「人の為に」という気持ちだけです。その気持ちは他の誰でもなく、我々解剖学実習を行う学生に向いているのです。
献体をして下さった方、そのご遺族の方々に応えるには私達は何をするべきたろうか。今まで散々ご遺体を怖がり解剖するのをためらってきた。その上、何も変わらないようではご遺体に対して申し訳が立たない。解剖をさせてもらった我々は全力を尽くして学び、日々自分自身の能力や人間性を向上させていかなければならない。こうすることは、考えれば「自分の為」かもしれない。しかし、今の私のままではご遺体の篤志には答えられないだろう。だからこそ、自分が医療人として