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た。春はサクラの見頃を見計らって2週間前後、夏は約40日間開催され、いずれの場合も22時半まで開国した。当時の天王寺動物園は造幣局のサクラの通り抜け、土佐稲荷とともに大阪市内のサクラの名所で、400本のソメイヨシノが植えられた園内には電燈入りのぼんぼりが提げられた。1928年春には11万8千人、1930年夏には4万6千人と夜間開園の集客能力は高かった。しかし、園内で禁止されている、飲酒の問題や、酔客の徘徊、アベックの追い出しなど夜間開園にはトラブルも多く発生したことや、動物の体調の維持も難しくなったこと、そして時局の問題もあり、燈火管制規則が実施された1938年夏の納涼開園から中止された。

東京都立上野動物園(1882年開園)の両国における夜間開園についてまとめた表が(表4)である。動物に関する催しもさることながら、映画、音楽会、金魚すくいなどの動物園との関わりの薄い催しもおこなわれていることがわかる。

夜間開園が上野動物園、天王寺動物園という2大動物園において戦前から開催されており、夜間開園が決して珍しい形態の動物展示ではなかった。しかし、当時の夜間開園は春はサクラ見物のひとびとへの、夏はひとびとの納涼気分を満足させるための開園という趣が強かった。そのため、動物を見せると言うよりも、にぎわいの創出という側面が需要だったようである。第二次世界大戦を挟んだ時期の動物園のおける夜間開園は、夜の動物園という場を観客に対して提供したに過ぎなかったのではないだろうか。

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