人一人の人物と性格が動きによって、まるで言葉によって書かれたように描き分けられていると思います。私達のこの作品におけるダンスは、いわゆるクラシックバレエとはずいぶん遠いところにあり、むしろ別のものになっていますが、このようにダンスが動作の描き分けに使われているということ、俳優の性格まで表すものになった動きとして、表現として、一つになったということが、この作品の特徴だと思います。
マギー・マランは決まったことをする人ではないのです。
客2●400回の上演ということを伺いまして、その400回も上演していくときに、例えばテクストが変わるとか、登場人物が19人だったところが17人になるとか、そういった変化はあったのでしょうか。
ダンサー4●大きな変更はなかったと思います。ただしマギー・マランがこの作品を作ったのが15年前のことですから、その間に彼女自身も変化し、踊りも、表現の仕方には少し違いが出てきたかと思います 昔の方がもっと激しく、慌てた感じで演じていたかと思います。今、むしろマギー・マランはゆっくりと、感情が自分を覆ってしまうように、自分自身をその波にまかせるように、と言います。このように、細かいディテールでは変化した部分があると思いますが、そのような変化とがあるとすれば、それはマギー・マラン自身の変化を反映しているものでしょう。それ以外には大きな変更はありません。同じ配役ですから、本当の意味で変更があったとは言えないと思います。ただしこの登場人物達を踊るダンサー達はずいぶん変わりました。ただし同じ人が踊っていなくても、役は同じであって、人物は同じままです。
ダンサー1●このように15年も前から同じ作品を演じているときに一つ出てくる問題があります。それは形の問題であり、その形を伝えていくことの難しさです。もちろん私達ダンサーの中には初演のときからいる人たちがいます。そしてマギー・マランも同じようにいますから、初演からいる人とマギー・マランが、この作品を新しいダンサーに伝えていくことはできるわけです。ただしこの作品をもう一度生きたものにしなければなりません。ですから、普通はそういうことはないのですが、『MAY B』に関してのみ1年とか2年とか経った時に突然マギー・マランが、私達がもう覚えてしまった振付の中のどこかで、「ここは良くない」と指摘して、私達を激しく揺り動かして、新しくもう一度その部分を、決まっていたところを生きたものにするようにすることがあります。このようにしてこの作品は、世代から世代へと、次の世代へと伝えられていくものだと思います。
客3●直接ダンスに関する質問というわけではないんですが、『ワーテルゾーイ』も『MAY B』も音楽の使い方がすばらしくて、例えば『MAY B』の方では、ギャビン・ブライアーズの音楽とか、すごく歌詞に意味があるものを選んで使われていたと思うんですけれども、『ワーテルゾーイ』の方ではダンサーの方達が一人一人ハーモニカを吹かれて、それが全体でオルガンのような音色になって、本