第8節 (愛媛県)柳谷村
1. 村の概要
松山から国道33号線を走ること1時間余、急行バスが矢淵隧道をくぐり抜けるとそこが柳谷村で、間もなく役場のある落出の集落に着く。役場はかつて土佐街道が山手を通っていた時代にはもう少し上手にあったが、予土横断道路(現国道33号線)が開通(明治25年)したのを機に、ここに移された。
柳谷村は愛媛県のほぼ中央部を占める上浮穴郡の最南端に位置し、南は高知県(吾川・仁淀・東津野村・梼原町)に接する。
その関係で高知県(土佐)側との間にしばしば境界争いが惹き起こされている。遅くとも17世紀末、元禄期にはじまり大正13年(1924)6月に至って妥結した旧西谷村(現柳谷村)と高知県越知面村(現東津野村・梼原町)とのいわゆる予土国境争論がそれである。なお同県ながら柳谷村と高知県野村町との間にも境界争論が昭和37年におき、昭和48年(1973)6月に妥結したが、その結果柳谷村の面積はわずかながら減少している。
柳谷村は旧柳井川村、西谷村および中津村(の一部)から成るが、これらの地域は藩政時代は松山藩(15万石)に属し、その最奥地にあった。それが明治23年(1890)、町村制の施行によって、先の柳井川村と西谷村とが合併して柳谷村となり、さらに戦後の市町村合併促進法に基づき、昭和30年(1955)3月、同じく中津村の一部を合併編入して、こんにちの柳谷村ができ上った。先述したように役場は落出に置かれ、ここが当村の行政をはじめ公共施設の多くも集まり、村落生活の中核となっている。