日本財団 図書館


東和町が日本一高齢化の町になったのは昭和55年(1980)のことであるが、その理由はなにか、過疎化の要件が他所に比してより大であったためとしかいえないが、まず間違いなく関係があるのは、大島が長らく「離島」であったこと、東和町はその大島の「島末」であったことであろう。その極限が離島のなかの離島ともいうべき沖家室島である。ここの高齢化率は平成9年現在71.7%、10人に7人以上が65歳以上の老齢者である。

離島とは地理的には本土から離れて孤立した島の意であるが、厳しい条件にもかかわらず生活する住民がいる島のことといってよいであろう。人間が住み集落があるから離島なのであって、無人の島を離島といっても意味はない。したがって離島はある限界を越えて生活条件が悪化すれば一挙に人口流出がはじまるとみてよい。日本でいちばん小さい分教場があった立島や戦後12戸いた片山島は無人島になった事例である。先の沖家室島の如きも、沖合いに絶好の漁場があるところから、漁師が住みつき、漁村として発達、多い時には3,000人にも及んだが、この人口過剰のため極度に苦しい生活に陥り、出稼ぎ漁業を余儀なくされた。いまは263人を数えるのみ、しかもその大部分が老人である。最近出版された佐野真一『大往生の島』(平成9年)は、この沖家室島の過去と現状を詳しい調査に基づいて報告し、未来に向う老人たちの心情を描いた労作で、離島の負わされて来た問題が摘出されている。

 

4 高齢化の島

離島が負わされた課題といえば、民俗学者、宮本常―が生涯かけて取組んだのが、まさしくそれだった。東和町に生れ育った宮本は、離島の厳しい現実を見つめるなかで、並みの民俗学者と違い、貧しさを強いられている住民の生活をいかによくするかという、いわば問題解決の実践の学を打ち立てたところにその独自性がある。昭和56年(1981)に没したが、大島あるいは東和町に関しても多くの仕事を残している。先述した『東和町誌』本篇は、協力者がそれをさらに詳説した各論篇(『むらの成立』『集落と住居』『漁業誌』『石造物』など)とともに、ユニークな地域史となっているが、最晩年の執筆になるものだけに、宮本民俗学の集大成といってよいであろう。このレポートも多くをこれらの書に負うている。

その宮本がいまから30年以上も前に発表した一文―「島のくらしと出稼ぎ―周防大島の場合―」(雑誌『展望』昭和41年4月号、のち『宮本常一著作集』第2巻に収める)は、そうした宮本の立場や思想が凝集された好篇である。高度成長の嵐に巻き込まれ急速に過疎化しはじめた時期のものであるのも、この際好都合である。宮本は先ず、同じ大島のなかでも水田地帯の西部に比して、東部(東和町)に畑が

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION