道路は本村を通る国道はなく、江の川を挟んだ対岸に国道375号が走っているが、改良は進んでいない。村内を東西に主要地方道浜田作木線が走るほか、主要地方道甲田作木線、一般県道阿須那宇都井線、羽須美大和線が通っているが、やはり改良はまだ十分ではない状況にある。高速道路のインターチェンジには、中国道三次インターまで45分、同高田インターと浜田道大朝インターまでそれぞれ40分の距離となっている。
本村は日本海に流れる江の川の流域に位置している。江の川は暴れ川として知られ、広島県側の三次盆地に降った雨が、日本海に向けて狭い山あいを一気に流れ出すため、集中豪雨があると水位が上昇し、甚大な被害を被ることも多い。羽須美村も古くから治水対策に追われ、現在でも治水対策は重要な施策の一つとなっている。
地形的には中国山地に位置するため、300〜500m級の比較的なだらかな丘陵状の山岳が卓越しており、集落の多くは、山あいを刻む谷間に沿って50余が形成されている。役場がある下口羽地区は、村の中央を南北に2分しながら流れる出羽川が江の川に合流する地点に広がるわずかな平地周辺に位置している。役場周辺の標高は約120mとなっている。
気候は日本海型気候に属し、冬期間を除いて比較的温暖で平均気温は13.4度、年間降水量2,096mm、最深積雪は1.7mである。
(2)歴史
紀元5〜6世紀頃、大和の国から「阿素那」という人物が当地に来て農耕を起こしたことが羽須美村の始まりといわれている。旧記によると、聖武天皇のころ「阿須那八ヶの庄始まれり、阿須那、宇津井、戸河内、雪田、口羽、上田、都賀西、大林これなり」とある。
源氏の治下にあったころは、日本三大牛馬市の一つとして栄え、足利尊氏、高橋氏と変遷をたどる。その後毛利氏の治下に属し、この時四天王の一人として口羽氏が活躍した。
徳川時代は浜田藩、廃藩置県後は浜田県、島根県に属し、明治22年の町村実施で阿須那村と口羽村が設置され、昭和32年に両村が合併し現在に至っている。合併当初の人口は6,238人だったが、その後人口減少に転じ、特に昭和38年の豪雪、昭和40年代の豪雨災害等が人口減少に拍車をかけることになった。
(3)人口・世帯等
平成7年の国勢調査によれば、人口は2,304人、世帯数は916世帯となっている。