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奈良県庁津川村は、奈良県の南西部に位置し、和歌山、三重両県に接している。東西、南北とも約33?q、672.35k?uの広大な面積を持ち、奈良県の面積の約5分の1を占め、村としては日本一の広さを誇っている。村のほぼ中央を北から南に向けて新宮川(十津川)が流れ、ここから支流が東西に入り込んで、谷沿いに集落が形成されている。

地形的には紀伊山地のほぼ中央に位置し、新宮川の深いV字渓谷が山を刻んでいるため、平地らしい平地はほとんどない。

村のメインルートは国道168号で、新宮川に沿って五條市と新宮市を結んでいる。役場から吉野地域の中心都市・五條市までは車で約2時間、県庁所在地の奈良市までは約3時間程度かかる。村域が広いため、村内を南北に縦断するだけでほぼ1時間かかる。そのため、村の南北では影響をうける都市も違い、北部は五條市、南部は和歌山県新宮市の影響を受けている。村の北端から五條市までは1時間強、逆に村の南端からは新宮市まで1時間強で到達することができる。

気候は太平洋型気候に属し、比較的温暖だが雨がやや多い。平均気温は13.0度、年間降水量2,460?oとなっている。

 

(2)歴史

十津川村の歴史について、教育委員会が作った小学生向けの副読本に記述があるので、確認しておく。

これによれば、十津川の歴史は文書で残されたものだけでも、非常に古くまで溯ることができる。日本書紀には1300年ほど前の遠津川(とおつかわ)の人のことが記述されており、それ以前から人が住んでいたと考えられている。また、800年前の高野山文書にも遠津川の地名が記述されている。遠津川とは、港や都から遠く離れた山深いところという意味らしく、範囲も大塔村や野迫川村など現在の十津川村よりも北の地域を中心にこう呼ばれていたようである。

672年の壬申の乱では、この地の人たちの戦功により、以後御赦免地となり、その権は明治維新まで続くことになる。それ以後、朝廷との結びつきも強くなり、約660年前の書状には、現在使われている「十津川」の文字も見られるきうになってきた。

江戸す時代のころから現在の村城を指して「十津川郷」と呼ばれるようになり、明治初めには現在の村域に59か村があったという。

明治22年、村は大水害にあい、深いV字谷のほとんどが、この時の水害で埋まり、新宮川には上野地周辺で見られるような、広い河原が出現した。この結果2,600人

 

 

 

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