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'97鹿追町町勢要覧(パンフレット)

明治35年(1902年)、山田松次郎氏が初めて開拓の鍬をおろしたのが、和人による開拓の始めと言われており、その後、大正4年(1915年)以降になって、岩手県・山形県の団体、また天理教団体などの入植により集落が形成された。音更村に属し、字クテクウシ(アイヌ語で「鹿を追う」の意、昔、アイヌの人々は、この土地の谷間に柵を設けて鹿の群れを追い込み捕えたと言われる。)と呼ばれていた。大正10年(1921年)母村音更村から分村し、鹿追村となった。当時、882世帯、人口4,448人であったと言われる。終戦後、集団開拓者の入植等により、除々に人口が増え続け、昭和32年12月には陸上自衛隊の駐屯により急激に増加、昭和34年9月町制施行。昭和36年(1961年)の10,778人がピークであったとされる。昭和35年以降の国調人口及び若年者(15歳〜29歳)比率、高齢者(65歳以上)比率をみると、表1-1のとおりである。

 

 

 

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