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(2)企業とボランティア団体等との連携

「阪神・淡路大震災被災地の人々を応援する市民の会(以下「市民の会」という。)」は,全国のボランティア推進機関と社会貢献活動に取り組む企業により設立され,両者が連携を図って,行政では対応困難な被災者のニーズにきめ細かく対応した。

?@ 連携成立の背景

(「震災ボランティア」市民の会)

 

(略)

1.「企業フィランソロピー活動」の広がり

日本の企業フィランソロピー活動は,1990年を節目として,大きく広がったとされる。

企業メセナ協議会や経団連1%クラブの発足,富士ゼロックスが「ソーシャルサービス・リーブ(ボランティア休暇)制度」を始めたことなど,この年,企業による「社会貢献」活動が一挙に活発化したからだ。

この年に企業フィランソロピー活動が活発化した理由としては,1985年の「プラザ合意」で急速に進んだ円高に対応するため米国へ進出した多くの企業が,米国流のプラグマティックな「社会貢献」活動と接したこと,円高不況に対応する低金利政策がバブル経済を生み企業に社会貢献活動に取り組む余裕が生まれたことなど,さまざまな背景が指摘されている。

この背景論の当否はともかく,大震災が起こった時に,企業に「社会貢献」活動の専任担当者という,広報部局や総務部局とは異なる“企業と社会とのコーディネーター”が生まれていたこと,そして「ボランティア休暇・休業制度」の導入のように企業社会の中でボランティア活動に対する“認知”が進んでいたことは,「市民の会」の活動を支え広げる大きな要因となった。

 

2.「企業市民活動推進センター」の存在

こうした背景があったとはいえ,すべての市民団体が企業と連携をとれたわけではない。

そんな中で「市民の会」が経済界と連携できたのは,1991年10月,大阪ボランティア協会が日本生命財団の助成を受けて開設した「企業市民活動推進センター」の実績があったからだ。

【図4-2】に示すように「企業市民活動推進センター」は,企業の社会貢献活動推進のコンサルテーション役,および企業と非営利団体のコーディネート役として設立。発足以降,大震災が発生するまでの3年3か月の間に,全国の200社を超える企業,労働組合などの相談に応じていた。

その中でも特に太い協力関係を築いていたのが,「経団連・社会貢献部」「フィランソロピー・リンクアップフォーラム会員企業」「大阪工業会」などであった。

まず「経団連・社会貢献部」とは,その発足直後,大阪で開かれたシンポジウムで,同部課長の田代と早瀬(大阪ボラ協事務局長)が同席して以来,協力関係を深め,1%クラブの認知申請をしてくる非営利団体の照会などで日常的に連絡を取り合ってきた。

「フィランソロピー・リンクアップフォーラム」は,大震災の1年半前,関西の社会貢献部門担当者の定例学習会として発足。ざっくばらんな雰囲気の会合が,2か月に1度,開かれてきた。

そして「大阪工業会」とは,「リンクアップフォーラム」に,社会・文化小委員会の委員長・古館 晋が参加していることもあり,研究会への講師派遣などで大阪ボランティア協会と協力関係があった。

(略)

 

 

 

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