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される救援対策にともなって、区対策本部でも次々と新たな業務が生じていた。それら新しい業務に対応するため本部体制の組み替えが必要となった。倒壊した家屋の解体処理の受付業務をまちづくり推進課が担当することとなり、倒壊家屋受付・相談班の班長として財田課長が1月29日に2階会議室に移って行った。

市民課と課税課が中心に担当することとなったり災証明班の班長として長課長が、また福利課と収税課が中心に担当することとなった義援金班の班長として谷上課長が2月6日磯上公園のクラブハウスに移って行った。

2月13日から本部事務室で業務をすることになったのは、情報案内相談班(総務課中心)、救援物資班(地域福祉課中心)、避難所班(収税課中心)、倒壊家屋調査班(まちづくり推進課)、倒壊家屋自衛隊班(まちづくり推進課)、家屋再調査班(課税課)、輸送班(課税課)である。本部業務が分散することになったので、2月14日の課長会で今後毎週金曜日の19時から定例課長会を開催することとした。

本部情報案内相談班はこれら新しい救援施策に関する市民からの問い合わせや、1月末から申し込みが開始された仮設住宅、生活福祉資金特別貸付、廃材・ガレキの処分などに関する照会の受け答えや処理、このころから目立って来た避難所内でのさまざまなトラブル避難所の環境改善の要望などに対処するために大忙しの日が続いた。

この頃になると各課の経常業務も震災の前にも増して忙しくなって、本部事務室要員として出せる人数も減らさざるを得ない状況になっていた。このような状況の中で、貴重な戦力となり助けていただいたのが民間からの応援職員の皆さんであった。2月1日から国際ステージサービスの女性職員が4名、2月14日から2月28日まで阪急百貨店の女性職員6名が、2月28日からは区職員の奥さんがボランテイアとして、3月13日から4月28日まで兵庫県港運協会の女性職員5名(三菱倉庫、住友倉庫、港運協会)が情報案内相談班の応援に参加してくれた。彼女たちのほとんどが民間企業でお客さんの応接を経験している頼りになる人達で、いつも笑顔を絶やさず、積極的に窓口へ出て行き、親切に根気よく市民に応対し、また電話に出てくれる。興奮状態でやって来た市民も彼女たちの応対で落ち着き、穏やかに事情が話せるようになる。後を引き継ぐ我々は非常に仕事がやりやすくなり、彼女たちに感心もし大いに感謝したものである。

彼女たちのうち国際ステージサービスのー人と区職員の奥さんには本部事務室を解散する8月末までお手伝いいただくことになる。

時が経つにつれて街の様子も落ち着きを取り戻し、本部事務室にくる市民も落ち着いて来たし、その数も減って来た。4月になって、他局からの応援職員も引き上げ、区においても経常業務が忙しくなり、各班の職員も本部事務室に詰めっきりと言うわけに行かなくなった。救援物資班、避難所班、家屋再調査班、輸送班もそれぞれの課に引き上げ、経常業務と平行して災害対策業務を続けることになった。本部事務室に残ったのは情報案内相談班(総務課)のみになった。本部事務室もスペースを半分に縮小した。

市民からの問い合わせはあらゆることにわたったが、この頃多かったのは仮設住宅や各種の融資制度に関するものであった。

6月19日、り災証明班、義援金班も福祉交流センターを引き上げ、それぞれの課において業務を続けることとなった。

7月24日、防災指令が解除されたが、区災害対策本部はなお継続との指令があった。

情報案内相談班もついに本部事務室を撤退することとなった。街も日に日に落ち着きを取り戻し、区役所、福祉事務所、保健所も経常の業務が忙しくなるにつれ、各種の会議や区民を集めての集会などが増え、4階大会議室の早期明け渡しが望まれるようになったのである。8月1日、情報案内相談班は総務課に移り、区災害対策本部業務は各課において引き続き行うことになった。

8月25日、これまで長きにわたり続けて来た情報案内相談班としてのローテーションによる職員の泊まり勤務を解除し、勤務体制も平常化した。この後も区災害対策本部機能は継続されるのだが、この日をもって一つの区切りとなった。

 

最後に若干の区庁舎などに関する資料を掲げて終わりとする。

 

 

 

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