日本では、特別養護老人ホームなどの施設は、1、2年待っても入れないという現状があります。私の病院がある中央区では、やっと3年前に特別養護老人ホームができたような状況で、全体的に施設数が非常に少ないわけです。このように、施設は少ない、在宅の条件も整っていないという悪い状態のなかで、一方では、世界の傾向は施設から在宅に移っているということから、在宅を進めながら施設も充実させようとしていますが、これは非常に無理なことなのです。
それでは、私たちは今後どのような方向性を目指すべきかといえば、いろいろなケースによって、それぞれ選択できる社会制度を築くことにあるといえます。たとえば、施設のほうが当人や家族のためによいという条件の人もいるでしょうし、できれば在宅でケアしたいと願う人もいます。そのケース、ケースによって、一番よいと思う方法を選択できることが最も重要なのではないでしょうか。
当人が選択することは、痴呆になってしまうとできないのですが、痴呆になりかけの初期段階で、「あなたは痴呆になるかもしれない」と告げれば、当人はそれを信じて、「それじゃ私はこうしてほしい」というように、もっと痴呆が差別されないで、気楽に痴呆ということが口に出せる社会に変わらなければなりません。
戦前は、親が結核であれば子どもの結婚に差し障るということから、診断書に結核と書けなかったのです。癌もまた同様でした。ところが、最近は癌を隠さなくなり、またライ病についても、いまや治る病気になってきたことで、社会の認識がまったく変わっているのです。日本では、エイズはまだ隠す病気ではありますが、痴呆は、80歳を過ぎると、5人に1人がかかる可能性があるというように、まれな病気ではないのです。
レーガン元大統領は、癌になったときに、自分が癌であることを隠さずに公表しました。そして次に、アルツハイマーになりかけていることがわかったときには、社会的に痴呆を抱える家族を支えるような運動を起こしてほしいと、自分自身で呼びかけ、社会に対して非常に大きな影響を与えたのです。
痴呆という病気は、白髪ができるようなものなのです。長く生き延びれば生き延びるほど痴呆が増えるのは当然で、早く死ねば癌にも痴呆にもならないのです。ですから、5人のうち1人が痴呆になった場合、残りの4人がその1人を助けるというような運動を日本全体に及ぼすこと、そういう認識を広めることが重要なのです。
そして、痴呆をお互いの問題としてとらえ、お互いに助け合っていくための運動を民間で起こし、それに対して政府がもっともっとお金を捻出するように働きかける必要があります。もしも家族や自分が痴呆になれば、介護や経済的な援助が欲しいと思うものです。しかし、そのための経費は痴呆ではない人から集められなければならないことをよく考えて、私たちは、この病気が正しく認識されるような教育を普及しなければなりません。
また、ケアするためには、多くの人手が必要な病気であるということを理解してもらえるように、定員を増やすための政治的な運動も重要であると思います。
【紀伊國】 ありがとうございました。いま、日野原先生のコメントにもありましたように、やはりこれからは、痴呆の人や障害の人が、一般の人々とともに生きていける社会を、どのようにつくることができるのかに課題があるのではないでしょうか。
このシンポジウムを通して、スウェーデン、アメリカ、オーストラリアの非常に優れたシステムをお聞きしましたが、同時に、われわれと共通した問題を抱えていることも認識できました。
私は、わが国の家族の特徴から、痴呆のケアについて日本は有利な立場にあると思うのです。それは、日本は欧米諸国に比べて家族のきずなが強く、家族が一緒に住んでいる割合が高い点にあります。さまざまな状況にある人々が、ともに生きるという社会の実現のためには、日本がもつ有利な点、そこにひめられている力をもっと活用することができると思います。
高齢者ケア、特に高齢者のなかでも痴呆の方々へのケアは、人類にとってはいまだ解決されていない問題です。つまり、未知への挑戦でもあるわけですから、そういう意味では国際的に知恵を出し合って、この問題の解決を目指し、少しでも問題が緩和される方向をお互いに探っていくことができればよいのではないでしょうか。
最後に、このシンポジウムのためにご参加いただいた先生方、準備のために大変なご苦労をおかけした青森県八戸市、言葉の障壁を超えてわれわれのコミュニケーションを可能にしてくださった同時通訳の方々に感謝申し上げます。
また、熱心な聴衆の方々にも感謝申し上げて、シンポジウムを終わりたいと思います。
皆さん、ありがとうございました。