日本財団 図書館


014-1.gif

写真3 ニュー・クロック

 

ベッドと、サービスハウスの健康な高齢者のベッドとを一緒にすべきではありません。第1の理由は、後者は往々にして前者を見下すことがよくあるという理由からです。さらにもう1つの理由として、痴呆患者は施設を抜け出そうとすることがよくあるため、アラームを鳴らす必要が頻繁に生じる、という事実によります。

他方、軽度の痴呆患者と寝たきりの重度の痴呆患者も一緒にしないようにすべきです。たいていの家族は、身内の者がもっと重い痴呆患者と一緒に生活することを望まないという理由からです。

写真3は徘徊により道が分からなくなった痴呆患者のための、現在手に入る最高に画期的な装置(スウェーデン製)です。ニュー・クロックを付けた患者がいなくなった場合、スタッフあるいは家族が警察に連絡を取ります。そして、ミニコール・システムを通じて、時計のコード番号を呼び出すと、時計から無音の信号が発信されます。警察は「ハンドサーチャー」で3キロの範囲内外にいる患者をみつけるか、ヘリコプターによって40キロ圏内を捜索することができます。

 

痴呆症の人が自宅で暮らすことがもはや不可能になったときは、すぐに移れる集合住宅が必要となります。集合住宅とは、約8人から10人が暮らせ、キッチン、ランドリー、居間などの共有スペースが活動の基盤を形成する比較的小規模な住宅のことをいいます。寝室はすべて個室というのが理想です。また、だれかが比較的長期にわたり寝たきりになった場合や、その他何らかの理由により、プログラムにそれ以上参加できなくなった場合は、ナーシングホームまたは同種のケアを手配するのが適当でしょう。

スウェーデンの一部の病院は、痴呆症に苦しむ患者が、比較的短期間滞在できる痴呆専門病棟を考案しました。病棟では、患者を早期に集合住宅施設に戻せるようにすることを目的として、薬剤の調合や、異常あるいは攻撃的な行動の研究が行われています。

スウェーデンではまた、後年、痴呆の症状が起こる可能性のある精神薄弱の人たちのための住宅システムの建築が進められています。このグループの平均年齢は、1920年代には3歳でしたが、現在では56歳になっています。なかには35歳前後で、すでに痴呆の症状がみられる人もいます。

しかし残念なことに、スウェーデンは人口が少なく、そのため多くの市町村では、前述のグループすべてを収容する単一の施設しか建設していないことが多く見受けられます。この多種多様な症状をもつ患者が同一の施設にいることは、初期の痴呆患者や職員にとっては、大変な脅威となります。特に職員にとっては、多種多様な患者グループの面倒をみるのは、たいへんな仕事です。こうした状況は、市町村が互いに専門施設を共有し合うことによって軽減できるかもしれませんが、これまでのところ市町村間のコミュニケーション不足がこれを困難にしています。

1940年代から1950年代に生まれた人たちは、病気の身内がどのようなケアを受けるかについて、比較的わがままな考えをもっています。彼らはできる限り最高のケアを望みますし、実際にそういってはばかりません。それより上の世代の人たちが、同様に変わりつつあるとはいえ、いまでも比較的従順なのに対し、若い人たちは医師の決定に対して多くの質問をします。このため医師の双肩には新たな要求がかかっており、医師は自分が勧める治療のあらゆる側面について説明できなければなりません。

近年スウェーデンは、家族がそれを望んだ場合に、家庭で良質なケアを提供するための方法をいくつか開発し始めました。これは、ホームケアからターミナルケアまでのあらゆる範囲にわたるものです。

スウェーデンでは現在、看護婦が市町村による高齢者ケアを運営しています。たとえば、私の住んでいる市では、各定員がおよそ200人の看護ケアチームは、それぞれ主任看護婦によって運営されています。医師は郡の自治体の組織に所属しており、必要に応じて看護婦から招請を受けます。

 

数年来多くの市町村は、郡経営の病院と提携して、病院を基盤としたホームケア(HBHC)を運営しています。このプログラムは、リンチョーピング(Linkoping)市では1962年から始まりましたが、当時は日中しか利用できませんでした。

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION