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500個が売れてしまったそうです。使い手が見えるとか、技術がいいという話ではいいのですが、私自身がびっくりしたのは、その次のことです。実は西武の方が、売り切れたので、またドイツに電話をして「あのバックは、500個売れてしまったから、また追加注文をしたい」とお話しをしたそうです。そしたら「もうあなたにはバックを売りません。自分自身は、あの500個のバックを1年かけて売ってほしかった。私は、そんなに軽々しくあのパックを製造したわけではありません。もうあなたには、あのバックを売ることはしません」。自分は大量に生産しているわけでもないんです。一つひとつ思いを込めて作ったバックは、一つひとつ思いを込めて売ってほしかった。このバックはこういう思いの人がこういう形で作ったものですよ、そのために、このバックをどういうふうな気持ちでお求めになりますか。それで、あなたはどういう場所でどうやって使っていかれますか。このバックがほしいと思う人にだけ売ってほしかった。私は当時、何を言っているのか、実はよく分からなかった。ですけれども、ここにきていろいろなリサイクルの仕事をさせていただけるようになって、つくづくその時のドイツのマイスターの人が言われていた意味が分かってきました。

私たちが捨ててしまった、大量生産そして大量消費していく、そうすると、家の中で使っても使わなくてもいいようなバックがいくつも残って、そういうようなことに支えられた形で、私たちの経済活動や、豊かさが支えられてきたのならば、私たちは、それに対してNOというような暮らし方をこれから作っていかなければならないのではないか。

先ほど三輪先生が、「手仕事の日本」というプリントを皆さんにお配りされましたが、まさに、私も作り手・使い手というふうな手を失ってしまった。五感の一番大切だった、便利という話では、手を失ってしまった。その手の感覚とか、五感をつかさどるまず手を失ってしまったということが、命をどれほど縮めたり、感性を鈍くしていったかと落胆することがあるのです。資料のなかの、右下のところに『元来我国を「手の国」と呼んでもよいくらいだと思います。国民の手の器用さは誰しも気づくところであります。手という文字をどんなに沢山用いているかを見てもよく分かります。「上手」とか「下手」とかいう言葉は直ちに手の技を語ります。「手堅い」「手並みがよい」「手柄を立てる」「手本にする」「腕利」「腕揃」とかそういうふうな「手腕」・・・』とか手ということによって私たちの暮らし方、生活文化、そういうことが、まず成り立っていた。もっとここで人間尺度に戻った暮らし方、経済のあり方、それを再構築する必要があるのではないかということがゴミジャンヌの今の思いです。

それで、くるくるプラザさんからご提案いただいたリサイクルを進める工房の夢「工房文化の輪をひろめよう」というのは、その思いの第一歩になっていると、今日全国から少しずつそういう芽が出てきたとろこで、大変今日は期待を持ってこちらに参らせていただきました。

 

三輪:どうもありがとうございました。

このマイクも、実は指導員の山崎さんがすべて再生品から作り直されたもので、今日は無事録音されていることと思っております。それでは続きまして、各工房の現状ということで順にお話いただければと思います。自己紹介を含めていただきながら、まず、太田さん、よろしくお願いいたします。

 

パネリスト:目黒区リサイクルプラザ「ほっと企画」

大田幸宏

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こんにちは。私は目黒リサイクルプラザのリサイクルショップを運営している「ほっと企画」で活動しております。目黒区のリサイクルプラザにおける色々な販売の方法等がレジメに出ております。目黒区の区民の不用になった品物を私たちが売るということが、私の団体の主な仕事ですが、この様なユニフォームを着てショップ

 

 

 

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