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で、住民は何をするかということになりまして、住民は面倒くさいこともやっていこう。行政任せではなくて、自分たちで手を汚していこう。そういうことで、これはごみでなくて資源だよということも分かって、暮らしの中で分かっていこうという話になりました。

果てしもない議論がありまして、一年やりました。行政と住民と企業と業者が一つのテーブルについて論議したので、結局議論が果てしなくなるのです。それぞれの立場の主張がありますからね。だけどやはり、環境を良くしようとか、ごみを無くしていこうという思いは一緒ですよね。そういうことで、いろいろな合意が得られてきたのです。ですから、私どものびん・缶回収システムというのも、区でやるわけですから清掃行政ではありませんから、清掃車が集めてびん・缶を分別するということができないのです。これは、住民にやっていただこうということで、びんも缶もコンテナ回収という拠点回収、それをステーション回収というのですが、そういうシステムを作りました。びん・缶のコンテナを1週間に1回ずつ自分が預かってステーションに出して、そこに住民の人たちがいろいろなびん。缶を持ってくる。それを、行政が雇った車が来て、資源化センターに持っていく。そこの資源化センターでの売上金は、また連合自治体という町に戻っていくというシステムです。

それで、その町では売上金を、連合自治体で運動会に使おうとか、研修会に使ったり、それからラジオ体操に使ったりして、コミュニティーづくりに役立ててもらっています。そういうときに、これは皆さんが毎週1回やってらっしゃるびん・缶の回収で生まれたお金ですよといいますと、子供から大人まで集まりますからね。ではまた一生懸命やろうかという話になります。ある意味でリサイクルをきっかけとしたコミュニティーづくりということにもなります。そういう視点ができてきます。

もう一つは、リサイクルするだけで本当にいいのかという話になりました。やはり、元を断たなきゃだめということで、今の自分の生活を変えていかないと何も良くならない。要するにライフスタイルを変えていこうと、暮らしを再構築していこうということですかね。そこでどうしたらいいかという話になったのです。口で言うのは何でも簡単ですが、行動に表していくとか、地域に根づかせていくということは非常に難しいことですよね。とりあえず自分の生活圏の中でやっていただこうと、住民の活動拠点を作っていくことになりました。

それが、リサイクラー会議で発案され、すぐやろうかということになりました。北区は、非常に決断が早く、第1号館『富士見橋エコー広場館』という活動拠点ができました。この広場館の『エコー』は、「エコロジー」環境のエコと、「エコノミー」経済的に無駄なくというエコ、これがエコーのように広がって、向こうに行ったものがもう一回もどってくるというイメージで『エコー広場館』。富士山の見える橋があるので、『富士見橋』。これが、第1号館で、平成6年1月にオープンしました。第2号館は去年オープンしました。子供がいなくて廃校になった学校の3教室を借りまして、学校の校舎の字をとって、『校房匠人(こうぼうたくみびと)作り』が、そこの一つの売り物としてオープンしました。もう一つは、区民館(公民館みたいなところ)の一角を借りて、去年オープンして、計3館があります。

2億8千万円くらいかかった、吹田とはくらべものになりませんが、資源化センターとは別になっている施設ですね。普通は資源化センターと付随してありますが、ここは独立したいわゆるリサイクルの活動拠点です。何億という資金で建てた施設の場合は普通、行政が館長さんとか部長さんとかになっています。北区は変わっていまして、『これを住民にやらせるよ』と、始めのコンセプトが、ハードは行政、活動は住民なんだから、あなたたちにやっていただくんだということでした。

それで、私たち第1次リサイクラー会議が、1年で終わりまして、『エコーライフ宣言』ができました。これを作っただけで、1年任期で再任が

 

 

 

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