ツーの遊びではなくて、心がいる遊びだと。例えば、ヨーロッパあたりでは、「お前のような貧しい心の男には釣りをする資格がない」と、こう一喝したというのがアイザックオールトンが書きました「鳥魚大全」、これは二百年前の名書で日本訳も数冊でております。そういうふうな非常に心を伴う一つの奥深い遊びでありながら、日本では、たかが釣りというふうに片づけられてきたのは、釣り人自身も悪いし、釣りのジャーナリズムも悪いと。それは釣った、釣れんとハウツーのことばかり書いておった釣りのメディアも悪いんだと。ひとつ社会とのかかわりで、釣り心を伝える釣りのジャーナリズムをつくってやろうじゃないか、ということで起こしたのが週刊釣りサンデーです。
まあ、釣りサンデーをごらんになっておられる方ならお分かりかと思いますが、現在「ウィン」というコーナーがあります。かなり、6ページぐらいとっています。それは海に関わる環境問題、釣りとは全く関係ないことでも、海に関わる環境問題を毎週取り上げております。海の環境問題をこれほど取り上げておるメディアはありません。それは、実質的なオーナーの会長である私の趣味ではなくて、この楽しい魚釣りを子々孫々まで伝えるためには、海や川や湖の自然が、あるがままの自然が残っていないとこの楽しみは消えてしまうと、だから週刊釣りサンデーは釣りの雑誌であっても、海や川や湖の環境を守るというのは、釣りサンデーの本業である。まあそういう志がありまして、釣りサンデーを起こしました。
もう一つの理由は、新聞記者は暇が一番とりにくいのです。夏休み、正月休み、その機会しか僕は遠征、海外の釣りはできなかったのです。思う存分魚釣りをしたいとなりますと、新聞記者ではとてもだめで、49歳の時に週刊釣りサンデーをつくりまして、そして3年位で企業としまして定期報告しましてから、実は、先月オーストラリアのケアンズとニュージーランドに釣りに行って来たのが、丁度172回目になります。20数年で172回、38ヶ国地域をまわりました。ぼくは魚つりに行くのですから、行った世界の国々で全部そこに海が、川が、湖がないと話にならないということで、世界のウォーターフロントに立地する都市を500位、今までこの20年間に回ってきております。私ほど世界のウォーターフロント都市を回った人間は日本にはいないと思います。そこで強烈なカルチャーショックを受けたのです。
海から育った都市
都会でお住まいの方は、大阪市の場合は100パーセント、67キロメートルの沿岸全部コンクリートです。
砂浜とか自然海岸はゼロです。大阪湾全体でいきましても自然海岸はたったの1.56%しか残っていません。海にたどりつくためには、大阪市の場合は海にアプローチできるところは、たったの2%しかないのです。どこかといいますと、堺との境を流れています大和川沿いにあります。あんまり魚が釣れませんのでただでも人が行かない、海釣り公園と海水をろ過してコンクリートの波の空色でどくどくしい波の模様を書いた海水浴の所、それ以外の所は、大阪市は市民が海にアプローチできないのです。こういうふうなことが当たり前だと考えていた私が、世界の38ヶ国地域を歩いて500の都市、こんな市民から海を閉ざしている町は、実は世界に一か所も無いのです。そのことにまず驚きました。
どうやっているかといいますと、大阪、神戸、阪神間がこれだけ育ったというのは、そこに大阪湾があったからなのです。東京が何故近代都市になったのか、そこに東京湾があったからなのです。広島もそうです。博多もそうです。鹿児島もそうです。那覇もそうです。世界も日本と同じように巨大な都市というのは、そこに母なる海が、母なる川があった所がほとんどなんです。その母なる海に対してそこの町が、都市が、どのように対応しておるかということなんです。他の国は全部、もともと港から生まれましたから、町の中心というのは港に近いんです。その港を、そのまま遊歩道で残すか公園にするか、市民がいとも簡単に、一番近くで憩えるところは海から生まれた、川か