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ナホトカ号油汚染鳥類救護の日米専門家会議に寄せて

山階鳥類研究所

黒田 長久

 

今、海洋油汚染 oil pollution of the seaのシンポジウムが開かれることは時期を得ている。不慮の事件には常時の“備え”が必要だからである。それはアラスカのExxon Waldez (1989)の大事故の“次に備えよ”の教訓でもある。英国海岸のTorrey Canyon(1967)の大事故の後、オマーンのSea Star(1972)スペインのUrquiola(1976)、ギリシャのLrenes Serenade(1980)の事故が起きている。

海洋油汚染の鳥類保護からの関心は、まず英国で廃油投棄の規制(1922)としてはじまり、国際鳥類保護会議(ICBP)で取上げられ(1952)10カ国が協定に参加(1954)(タンカーについては1958年)し、1962年には55カ国が加入した。日本では新潟の風間辰夫氏が1960年から漂着海鳥の油汚染に注目し1971年ウミスズメの汚染大量死を報じて警告し、海洋汚染防止法も成立している(1970)。そして、1991年の湾岸戦争での海鳥の油汚染の惨状に国民が等しく驚き、愛のボランティアの方々、鳥類関係者、獣医の篤志家の方々などが現地の救援、リハビリの実務を経験された。その経験が今回のナホトカ事件に生かされ、野生動物救護獣医師協会が結成され、地元や鳥関係団体の協力態勢も整ってきた。そしてそれが今、アメリカの先輩専門家の協力を得て確かな“備え”となろうとしている。それは、本年の韓国沖、東京湾、シンガポールでのタンカー事故を考えれば、有意義な催しであり、一方、タンカーの造船術そのもの(例えば二重底)の改良にも“予防的配慮”が望まれる。これは漁業を含め全海洋生物の“生命の問題”だから。

 

シンポジウム開催によせて

野生動物救護研究会

会長 森田 正治

 

今回の日米会議の開催に、心より拍手を送ります。終日の会議の案内を拝見し、主催者の情熱がうかがえます。

今、振り返ってみれば、つらい救護活動も楽しい思い出となっています。北海道が地盤の我研究会は、4年前に苫小牧沖での事故を経験していて、北陸への応援を考えていました。そんな矢先、二次救護の話が舞い込み、「北陸の鳥が、北海道になぜ?」等、テンヤワンヤのスタートでした。ナホトカ号などロシアのタンカーは、北海道沖を航行していて、「明日は我が身か」。

当初は「野戦病院」。多大な支援を受け「海鳥病院」へと、何よりもアメリカからのプロには多くを学びました。そして、心強かったのは、献身的なボランティアの皆さんでした。心から感謝をしています。苦労の代償は「生命の尊さと自然の大切さ」を学べたことでしょう。今後の力強い協力者に拍手、拍手。

今回の会議が、我々にとって学習の場であり、日米の野生動物保護関係者の交流の場として意義深いことを喜んでおります。

 

 

 

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