■持続可能な開発に関する経験
四日市市の石油コンビナートは、1960年代から1970年代にかけて推進された重化学工業化を基幹とする高度経済成長において先導的役割を担った。しかし、第1コンビナートの稼働(1959)直後から公害問題が顕在化し、ばいじん、悪臭、騒音、硫黄酸化物などによる大気汚染、含油排水などによる異臭魚の発生や水質汚濁などが深刻化する中で、地域住民の健康被害が広がるとともに漁民の生活基盤を侵していった。特に硫黄酸化物による大気汚染は、ぜん息をはじめとする呼吸器系疾患を引き起こし、多数の犠牲者を出すに至った。
公害克服の原動力となったのは地域住民による反公等運動であった。この運動は、市や県を含む関係行政機関への陳情や要請のみならず、関係企業への抗議、監視、告発、訴訟など多様な手段を通じて展開された。住民運動から生み出された重要な成果として次の3点があげられる。
?@第1、第2コンビナート周辺の公害被害を直接受けた住民による要求が、市や県による公害被害の実態把握調査を早い時期に着手させ、これがその後の公害対策や公害患者の医療公約負担制度の確立に寄与した。
?A霞ヶ浦地区を中心とした第3コンビナート周辺の住民運動は、建設計画の公表とともに公害の未然防止を基本課題として展開され、これが第3コンビナート操業開始前の四日市市と関係企業による事前の公害防止協定の締結につながり、さらに地元自治会に対する関係企業の公害防止協定確約書に結びついていった。こうした対応は当然のことながら関係企業による事前の公害防止を促すことになり、公害対策が不十分な状態で操業を開始した第1・第2コンビナートに比べれば大きな前進であった。
?B公害患者による提訴は、単に損害賠償を求めるだけでなく裁判の進行過程から行政や企業による波及効果をもたらし、その後の公害健康被害者の救済制度や総量規制など、行政や企業による公害対策の基本的な取り組みの出発点となった。
公害問題克服や環境改善に対するすぐれた取り組みに加え、近年の国際環境協力による発展途上国の環境改善への積極的な対応姿勢が評価され、1995年6月国連環境計画よりグローバル500賞を受賞した。