■地理
東経135°23`〜135°3`、北緯34°35`〜34°46`と、本州のほぼ中央部に位置する。市域は大阪平野にあり、南北を縦断する上町台地(南北9?q、東西2?q)を除いてほぼ平坦で、海抜3m前後である。大阪湾に面し、古くから水陸の交通の要衝として栄える。
■気候
温暖湿潤気候。気候はおおむね温和で、いわゆる瀬戸内気候に属する。1991年の平均気温17.1℃、最高気温37.3℃、最低気温‐2.5℃、年間降水量は1433mmであった。海陸風が発生しやすいので、夏季には大気の換気力が大きいが、冬季は移動性高気圧に覆われるとしばしば逆転層ができる。近年はヒートアイランド現象がみられ、気温が年々上昇、夏の熱帯夜も増加している。
■歴史
大阪は古くから国内および大陸との交通の要衝として重要であった。7世紀には都が大阪に移され、8世紀末まで日本の政治経済の中心であった。また、16世紀には豊臣秀吉が全国統一の拠点として大阪城を築城し、その城下町として発展した。戦乱のない江戸時代には商人が大名をしのぐほど経済が発展し、大阪は商業の中心として繁栄した。
1989年に市制が敷かれ大阪市が発足、上水道の創設、下水道の改良など都市施設の整備を中心に近代都市の建設が始まった。当初の人口は47万人であった。日本の経済の中心が東京に移ったため、金融流通業が衰退し、大阪は商業都市から、紡績業を中心とした工業都市として再興をはかり、紡績業は19世紀末には全国生産高の9割以上を占めるまでに成長した。さらに日清、日露、第一次世界大戦を機に、金属工業、化学工業が飛躍的に成長し、輸出も拡大した。工業都市としての発展、市域の拡大とともに都市施設の整備が重点政策とされ、急速に都市化が進んだ。人口も急激に増え続け、1940年には戦前戦後を通じて最大の325万人に達した。
第二次世界大戦により都市部は破壊され人口は3分の1に減ったが、戦後すぐに復興都市計画により都市基盤の整備がはかられ、人口も急激に回復していった。日本の高度成長に歩調を合わせ、大阪の経済も急速に成長した。人口・産業の集中により、大気汚染、水質汚濁、騒音、地盤沈下などの公害問題が起こったが、市民の強い要求により公害関係法整備に先駆けた行政指導、監視により、精力的に公害問題に取り組んだ。
1970年には日本万国博覧会が大阪で開かれ、関連事業として、道路・鉄道・空港・港湾などが建設され、都市機能の更新に大きな役割を果たした。また、これをきっかけとして本格的に国際化が始まり、国際交流.協力に貢献を続けている。
■文化
大阪は、645年に難波宮が置かれて以来、長く経済.文化の中心地であったため、多くの歴史的。文化的遺産が残されている。文楽・舞楽・薪能などの古典芸能の他、大阪城、四天王寺など歴史的建造物、日本三大祭りの一つに数えられる天神祭りをはじめとする社寺や地域の祭りなども数多く受け継がれている。
一方で、大阪は現在も日本を代表する都市の一つであり、近代的な文化施設・催しも数多い。また、「食い倒れの街」と言われるほど食の豊かなことでも有名である。