従来のバタフライは両手を前に運んで入水する際に足を蹴ったが,子を掻き始めて掻き終わる迄,足は殆ど遊ばせていた。この足を遊ばせておくのは勿体ないということ。もう一つは,バタフライで浮いたときには手が水から抜きにくくなる。これは,手が全部終り迄掻き切れないからである。手を掻くときに身体が前進していれば容易に掻き切ることができる。この身体を動かすのにビートを使った。
第2の工夫:新泳法を数週間練習したが,関節炎が再発しカエル足ができなくなった。手だけで泳ぐ練習をしばらく続け,カエル足をビートに代えた「2ビートバタフライ」を見付け出した。板を持ってのビーティングはカエル足よりも遥かに遅かったが,曲げる動作が容易で,抵抗が少なかった。ピッチを上げやすいことがスピードの向上に役立った。これにより,スプリントの無さを解決し,練習で当時の日本記録に匹敵するタイムを出せた。
このようにしてできた泳法に「長澤式泳法」と名付け秘密練習をしていたところ,外国に正に同じ泳ぎ「ドルフィン泳法」があるという情報を得た。長澤氏は,外国選手の泳ぎ方も見たが,自分の泳ぎ方が自分にとって最も適当であると判断した。
ここで,長澤氏の言葉を紹介する:「どんな泳法でも自分に適した泳法を見付け出す事であり,より速く,より強く泳ぐことである。その意味からも,これから色々な泳法が生まれるかも知れない。然し,例えその中の誰かが飛びぬけて速くなったとしても彼等には必らずや水泳に於ける最も根本的なものが,きっと内在している事には変りはないであろう。」
●石本隆:1936年生まれ,安芸高→国大,日100m=1-00.1(1958),200m=2-19.6(1958),世界記録100=1957-1958,200m=1955,1956。第3回アジア大会100m&200m優勝。メルボルン五輪200m2-23.8で2位。100mの日本記録を1分05秒台から1-00.1まで押し上げ,200mの日本記録を2分28秒台から2-19.6まで押し上げた。
石本氏の泳ぎの特徴:第2キックで膝が伸びきるとき腰がわずかに折れ,腰が水面上に保たれた。これは,体の入水時に深く沈むのを防いでいた。また,体を水平に近く保つために,顔を横に向けて頭の位置を非常に低く保った。(宮畑虎彦・杵淵政光,水泳,不味堂,pp.78-79,1962)。
●那須純哉:立大,日200m=2-17.8(1959)。前半の遅い那須氏は,1959年の日米対抗200mにおいて,世界記録保持者M.F.トロイに前半1身長ぐらいで積極的についていく作戦。前半を0.8秒差で折り返し,150mで並んだが,その後離された。しかし,自己ベストを大きく破る世界新で2位に入ったことでアメリカチームの一角を崩した。
●吉無田春男:1939年生まれ,早大,日200m=2-17.4(1961),ローマ五輪200mでは前半を1-04.7の2位で折り返し,2-18.3で5位に入賞した。第3回ユニバーシアード大会200m優勝。八幡製鉄入社後自由形に転向,東京五輪自由形代表,1966年には400m自由形で日本選手権を獲得。