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●田中守:早大,日100m=1-10.0(1952)。ヘルシンキ五輪代表。

●竹内允:中大,日100m=1-09.8(1952)。

●平山保:日大,日100m=1-09.6(1952)。ヘルシンキ五輪200m平泳ぎにおいて2:37.4の五輪新で4位に入賞した。

●梶川孝義:早院高→早大, 日100m=1-08.8(1952),200m=2-37.8(1951)。ヘルシンキ五輪200m平泳ぎ2-38.6の五輪新で5位。1952年には梶川氏を始め古川勝,竹内允,平山保,田中守,藤家衛,長澤二郎の諸氏の活躍により100mバタフライ平泳による日本新記録が27個も樹立され,バタフライの独立を決定的にしたと言える。

 

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●長澤二郎:1932年生まれ,早大,日200m=2-28.4(1955)。ヘルシンキ五輪200m平泳ぎにおいて2−39.1の五輪新で6位入賞後,ツービートバタフライを完成させ,200mで2分30秒を破り,オーソドックス平泳ぎとの差を歴然とさせた。短水路で2-21.6(1954),25ヤードプールで2-19.3(1956)の世界最高記録を達成した。1954日本スポーツ賞受賞。1993国際水泳殿堂入り。

 

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長澤氏は,日本における本格的なバタフライの創始者で「バタフライの父」とも言える存在である。長澤氏のドルフィン泳法工夫の過程は次のとおりである。

平泳ぎを続けなかった理由:ヘルシンキ五輪(1952)の平泳ぎの代表に選ばれるために無理な練習をしたために膝の内側の関節炎を起こし,カエル足の練習ができなくなった。その後一旦,自由形に再転したがインターカレッジ大会にバタフライが新種日として加えられたためバタフライに全力を傾けた。

第1の工夫:従来のバタフライは1ストローク1カエル足キックであった。強く蹴れないカエル足を補う方法として1ビートを加える「1キック・1ビート」泳法を発見した。着眼点は2点であった。

 

 

 

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