4. 記録の変遷
4-a. 最初に公認された世界記録および日本記録
国際水泳連盟では,1953年1月1日より,バタフライの記録を平泳ぎから分離することを決定し,その後に開催された大会の記録を世界記録として公認した。バタフライ史に成る最初の世界記録は,男子では100mがG.ソンベク選手(ハンガリー)の1分04秒3(1953年5月1日,ブタペスト),200mが長沢二郎選手(日本)の2分21秒6(1954年9月17日,東京),女子では100mがJ.ランゲナウ選手(東ドイツ)の1分16秒6(1954年8月31日,トリノ),200mがS.マン選手(アメリカ)の2分44秒4(1956年7月6日,タイラー)と記されている。
一方,初めての日本記録は,男子100mが萩原孝男選手の1分12秒0(1950年7月22日),200mが萩原孝男選手の2分39秒2(1950年7月23日),女子100mが浦畑チズ子選手の1分25秒8(1954年9月4日,200mが宮部シズエ選手の2分49秒0(1957年9月8日)であった13)。男子の日本記録が,バタフライが平泳ぎから独立する1953年以前,つまり平泳ぎの中で混泳していた時代から正式記録として残っているのは,当時よりバタフライ式平泳ぎとオーソドックス式平泳ぎを区別して考えられていたからである(実際,オーソドックス平泳ぎの日本記録は1939年に葉室鉄夫選手の作った1分12秒4という記録が,1954年古川勝選手(1分12秒2)に破られるまで,15年間保持されたままであった13)。
4−b.記録公認法の改正と珍現象
図3にバタフライの世界・日本記録が公認されてから現在(1997年12月15日現在)までの男女記録の変遷を示している。また,表3には世界記録とその樹立者を表している。世界記録の推移を追うと,1956年から1957年にかけて,更新されて短縮するはずの記録が逆に延長していることに気付く。
というのも,この当時世界記録は,短水路,長水路の区別なく,25mプール,50mプールなどの他,25ヤードプールや331/3mプールなど,特殊なプールで樹立された記録も,とりあえず速ければ世界記録として公認されていた。したがって,現在のように同じ条件で泳いだ中で樹立された記録として比較されていなかったわけであるが,こういった記録を扱う上での不平等をなくすため,国際水泳連盟は,1957年5月以降長水路プール(50m,または55y)で樹立された記録のみを世界記録として公認するよう改めた(注:1969年5月以降は,ヤード制の種目も廃止されており,メートル制のプールで行われた種目だけが事実に公認されるようになった13)。これによって,男子100mの記録は1分01秒5から1分03秒4へ,200mにおいては2分16秒7から2分19秒0へと後退している。女子においても100mは変わらないものの,200mにおいては2分38秒1から2分40秒5へとやはり記録の後退が見られる(図3の○で囲んだ部分)。一方,日本記録はそれ以前より50mプールにおける記録のみを日本記録として公認したため,世界記録のような記録後退の珍現象は見受けられない。しかしながら,1954年から56年にかけて男子200mの世界記録には長沢選手と石本選手の樹立した記録が公認されていたが,それらの記録が25mまたは25yプールで樹立されたことから,当時の日本記録としてはその記録は公認されていない。したがって,図3において,その当時の世界記録と日本記録のグラフが一致しないのもそのためであり,日本人が世界記録を持っていながら,それが日本記録ではないという珍現象が起きている。