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また,長沢選手はヨーロッパ遠征に行った際にドルフィンキックを習得し,腕が1ストロークする間に2回キックをうつコンビネーションが最適であることを見いだした24)。実に,アメリカでD.アームブルスター氏とJ.ジーグ選手が試みてから20年ほど経過した後であったが,この長沢選手の技術はアメリカにも逆輸入され,それ以降国際的にも広がっていた。これが長沢選手が現代バタフライ泳法の創始者といわれる所似である4)18)25)。余談ではあるが,長沢選手がドルフィンキックを始めたのは,膝を痛めて平泳ぎのキックの練習ができなくなった折,バタフライの泳法規則の「かえる足でも自由形の足でもいい。ただし,左右の足が同時に,相似形に動くこと」という点にヒントを得て,両足を同時に上下にキックしたのが始まりと伝え聞く(注:長沢選手は1952年の日本選手権では200m平泳ぎで優勝した経験を持つ平泳ぎ出身の選手である4)。そうしたところ,これがバタフライの腕のストロークと非常にマッチしており,飛躍的な記録の向上を招いた。偶然の発見が,大きな成果を生んだわけであり,文字通り,怪我の功名である。

バタフライ種目は,わが国で唯一男女ともに世界記録を樹立している種目であり,古くは男子が,近年では女子が世界の上位にランクインしている。日本人選手のバタフライにおけるオリンピックでの成績を表2にまとめた。先述したように,バタフライが国際試合として初めて公式種目となったは1956年のメルボルンオリンピックであるが,その試合において200mで石本隆選手が2位に,1960年のローマオリンピックでは,やはり同じ200mで吉無田春夫選手が5位,1964年東京オリンピックでも200mで門永吉典選手が6位に,そして1968年のメキシコオリンピックでは100mで丸谷里恵選手が6位に,そして24年後の1992年バルセロナオリンピック200mバタフライで川中恵一選手が5位に,それぞれ入賞している。一方,女子においても,1968年メキシコオリンピックの200mで藤井康子選手が8位に入って以来,1972年のミュンヘンオリンピックの100mで青木まゆみ選手が世界新記録で優勝,浅野典子選手が8位,同オリンピック200mで浅野典子選手が5位,1984年ロサンゼルスオリンピックでは200mで久米直子選手が6位,続く1988年ソウルオリンピックでも200mで高橋清美選手が6位,1992年バルセロナオリンピックでは司東利恵選手が100mで8位,200mで5位に,同オリンピック200mで春名美佳選手が4位,そして1996年アトランタオリンピックでも春名選手は200mで7位に,鹿島瞳選手が100mで4位,青山綾里選手が同100mで6位に入るなど,数多くのオリンピック決勝進出者を輩出している。その他数名の選手も含め,国際一線級のレベルの選手が各時代でしのぎを削ってきている。

 

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