そういうトータルな意味の、環境の第1には自然です、第2は人工的に作ったいろんな施設、きょうはこういうふうな雪にもかかわらず、立派な講堂という環境がありますので、こういう話ができるわけですが、こんな環境がなければ野っ原でやらなきゃいけないわけですね。これも立派な環境です。
そして、さらにこういうナショナル・トラスト協会という協会ができていて、これもいろいろと皆さんに働きかけをしたも一つの社会環境かもしれません。
こういうものバラバラでなく、トータルなつながりをもっともっと考えるのが環境なんですね。それまでの地域の開発、都市作りを見ますと、ただ道路を作ればいい、道路屋さんは道路だけ作る。橋を作るやつは橋だけ作る。鉄道を作るやつは鉄道だけ。地下鉄を掘るやつはやたらと地下鉄を掘る。工場を作るやつはやたらと工場を作る。住宅作るやつはやたらと住宅を作る。それだけなんですね。それで本当に環境をトータルに考えているか。まずトータルに考えていない。ここが大きな問題ですから、我々はそれを環境として考えようということを考えたわけです。
2番目にいったい環境という考えはどこから始まったかというと、環境という概念はさっき申し上げたとおり、本来的には生物学的用語なんですね。つまり人間、生物というものの存在のために必要なんです。このごろは水だとか空気だとかいうのを単純に環境、地球の環境だと言うけど、地球にとって別に水も何もなくていいんですよ。火星だって立派な惑星なんですからね、そんなもんなくたって存在する。地球のためじゃなくて人間にとっての環境なんです。あるいは生物にとっての環境なんですね。そこに生物がいるということを前提として、それに対する環境で、何に対しての環境が問題です。地球環境という言葉は私はあんまり好きじゃありません。地球にとって人間なんかなくたっていいんです。ウジムシどもが地球の上にはびこっているけど、そんなもんない方がせいせいするかもしれませんね。生物がなかったら火星みたいにさっぱりして、惑星としては一向困ることはないんです。
ただ、それでは人間が困りますし、生物が因るんです。環境という言葉はあくまでも生物にとってということなんですね。特にその場合に我々にとっては人間ということで、人間だけ区別すると、いや、ほかの生物のこともちゃんときちんと考えなきゃいかんという方が最近多いんですが、私はやっぱり何といっても人間のための環境であり、同時にそれが生物にとっての環境になるというように思います。
ですから、その人間というものを環境の真中に置いてみないと、何のための環境かが分からない。ただの水が環境じゃないんですね。あるいは空気が環境じゃないんです。それはそれで、それがないと生きていけない生物というものがいるから、その生物にとっての環境なんです。ここがちょっと抜けているんですね。水とか緑とかいうことを言うけど、何のための何か。それは人間のためなんですね。しかも、人間の場合はその環境を自分の力で変えたりつくったりしているのですが、その責任があるわけです。
3番目の問題として重要な問題は、これが極めて複雑な連鎖性を持っているということですね。環境というのは全部がつながっている。環境を大きく考えますと自然、もともとの自然環境、そこに人工的に加えた道路であるとか建物であるとか、いろんなそういう環境、さらにちょっと目に見えない社会環境という言葉で言いますが。ソフトの