採用した。これは、事実上、執行権力の長に地方議会の指導運営をも任せる、かなり権威主義的な措置である。歴史的には、地方自治体における代議機関・執行機関の長の兼任制は、19世紀の「大改革」後の都市自治に源を発している。都市よりも自治体としての格が上であったゼムストヴォにおいては、ゼムストヴォ県会・郡会の議長と執行機関である県・郡参事会の議長は当然の如く別人物であった(前者は県・郡貴族団長が務めた)が、都市自治については、それへの国家統制を容易ならしめる方法として、市長は市会議長を兼ねることになっていた(31)。ロシアにおいては、1991年の秋から末にかけてリージョン・地区・市町村に行政府長官制が導入されると同時に、執行機関の長と代議機関の長は再分離され、その後、上記の兼任制は(1998年十月事件から95年連邦地方自治法制定までの)クーデター体制期を除けば復活しなかった(32)ところが、ウクライナの地方自治体(市町村)においては、執行機関の長と住民代表機関の長の兼任制は、その後、恒久化してこんにちに至っている(33)。
(3)1992年の集権化
ウクライナが独立したことによって、ソビエト位階制破壊を最優先する姿勢は当然にも改められ、国家の統一を固める政策が採用されるようになる。1992年3月5日に採択された「ウクライナ大統領代表(predstavnyk Prezydenta)について」の法(34)、同3月26日に採択された「人民代議員地方ソビエトおよび地方自治・広域自治について」の法(35)、同3月27日に採択された1990年12月地方自治法への修正決議、同じく4月14日付の大統領布告「地方国家行政府について」(36)の四つが、新生ウクライナの地方制度を規定した。この4法規の最大の特徴は、後に地方自治体と地方国家行政府に二分してゆく地方制度の二範疇を確定したところにある。前者に属するのは市町村であり、後者に属するのは州、キエフとセヴァストポリ市、地区、キエフ市の市区(後にはキエフ・セヴァストポリ両市の市区)である(図表2を再度参照)。「地方自治」の概念をあてられたのは市町村のみであり、市町村は国家機構から概念上分離された。後者のうち、州と地区には「広域自治」の概念があてられたが、これは、以下に述べるように自治の名には値しないものである。
? 市町村においてはカウンシル制が廃止され、住民による直接公選のソビエト議長が単独責任原則に基づいてソビエト執行委員会を組織し、その長を兼ねることになった(3月26日法第23条、第31条)。
? 州、地区、キエフ市、セヴァストポリ市、キエフ市の市区には大統領代表が任命された(37)。大統領代表は、ソビエト執行委員会機構を廃して、その基礎の