受付の小部屋に入ると、正面に、市区管理人と市区行政府長官の双方に仕えている秘書嬢が座っている。向かって右が市区管理人のオフィス、左が市区行政府長官のオフィスである(図表3参照)。両者が顔を合わせたときに殴り合いにならないのが不思議な程である。ポタポヴィチは、オフィスのさらに奥にある小部屋に筆者を招き入れて、生々しい話を聞かせてくれた。各種長官の類似デザインのオフィスに入ったことは何百回とあるが、その奥にこのような小部屋があるとは初めて知った。何十年か前にはこのような小部屋が必要だったのかもしれないが、それが現代に再活用されているのは面白い。
その建物内で働く職員のうち、社会保障課、派遣課、清掃課、市区管理人助手の計約50名がポタポヴィチに服従している(ただし、このうち社会保障課33名は、ポタポヴィチ派の職員数を増やすために、人為的に市庁から移された人々である)。公共サービス課、総務課、組織課、商業課、スポーツ担当、法律担当、戸籍課、長官代理の計26名が旧来の市区行政府長官に服従している。先方は「レーニンスキー市区行政府」名義の銀行口座を持っており、市区に登録された約6千の法人のうちかなりの部分がその口座に「納税」するそうである。税務署はナズドラチェンコ派に押さえられているので、これを正規の納税と認めている。それにしても、こうした「税」(正確には「守り銭」「所場代」だが)を財源にして30人近い職員とおそらく100人を越えるその家族を養っているのだからたいしたものである(クライ予算から市区行政府への財政援助はなされていない)。当然ながら、市区行政府の「歳出」は誰の統制をも受けない。先方の市区行政府長官は、額の大きな、教員・医療労働者への給与、エネルギー費などは市庁に回し、少額の各種補助金・褒賞などについては個々の請願に応じて大盤振る舞いするそうである。市庁を代表するポタポヴィチの側は、個別的な褒賞の請願などは、こんにちの財政状況を