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[廃校事例] 「みかわ」の語感は麺のイメージ

愛媛県上浮穴郡美川村

 

校舎を生かした製麺工場で活性化

発端:

? 若者の就労の場は、役場、農協以外には建設業しかなく、農林業を含め、後継者・担い手不足と高齢化が年々深刻になってきており、若者の定住が困難な状況である。

企業との協力関係

? 「美川」の2字と「みかわ」の響が、麺のイメージにピッタリであるということと、美川村にはお土産にするものが全くないという理由から有限会社新栄食品の社長が廃校校舎で製麺業をしたいと村に申し込んできた。

? 昭和61年3月末で仕七川中学校が統合により廃校となり、その年の10月に有限会社新栄食品の美川工場として生まれ変わった。

経緯:

? 美川村で創業を開始するに当たって、地元より20人ほどの女性の従業員を雇用するのはもちろんのこと、若い男子を4、5人採用し、技術を身につけさせて、将来は、地元の若者たちが自分たちだけで会社を経営してくれることを願っているとし、事実、63年に地元の若い社員を取締役に格づけし、美川工場を「美川手のべ素麺」という有限会社にして独立させた。

? 造詣の深い「村おこし」について、社員やわれわれにもことあるごとに話してくれた。

? 社員には地域の行事にも積極的に参加し、むらづくりにかかわるよう指導し、自らも「21世紀みかわ村づくり推進協会」のメンバーとして奇抜で示唆に富んだ提言をした。

? 「美川」をネーミングした商品をアカ抜けした包装やチラシにより、どこに出しても恥ずかしくないものを多数創作し、次々とヒットさせ、われわれにも自信をもって人に薦めることができた。

? 美川うどん、村おこし素麺、村内産そば粉使用の日本そば

? アパレル業界の(株)セシールの正岡社長が美川村出身であることが縁でセシールの商品にみかわ手延べ素麺のパンフを同封してもらい、全国各地からの注文が入るようになり、製造が追いつかないうれしい悲鳴となっている。

? 創業以来、9年目を迎え、経営的にも安定

? 廃校校舎をほとんど改造しないで工場として利用しているため、手狭で作業効率が悪く、建物自体が老朽化しているので、近年中に建て替えて大量生産を志向する必要がある。それに伴い従業員を拡充し、社員の待遇も改善して、Uターン、Iターンし易しい環境を整備する。社員の住宅もかつての教員住宅なので工場同様、できるだけ早い時期に建て替えたい。

? 国道沿いに工場を移転し、製造行程が見学でき、試食も食べ放題とし、お土産に麺を買っていってもらえるような施設を建てたいと熱っぽく語っている。

? 行政側もあらゆる事業を活用して課題解決のため、また夢の実現に向けて支援すべきであると考えている。

 

 

 

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