[一般事例]一般向けの研修保養施設・ふるさと日南邑ファームイン
鳥取県日野郡日南町
発端: 昭和58年12月農林水産省「農業構造改善事業(自然活用型)」3億円補助で急に対応を迫られた。どのような体制で何をやるかが突然の課題となった。
方針: 活性化の起爆材として、一極集中投資型の外向け施設をつくることは決まっていた。日南町の風俗や人情味がよそから来た人にわかってもらうものにしたかった。既にスキー場もりんご園もあったがそこへのアクセスや人の流れの面から位置が決まった。また、普段の日南町とは違う隔離された別天地、夢の持てるイメージを中心にし、日南町民もよび寄せることを図った。
経緯: しかし、用地買収の説明会で猛烈な反発を食らう。突然の話で突飛だったのが原因であった。
昭和59年、運動広場のグランド整備を開始。このときも用地買収交渉に手間取るが、町の真剣な対応が町の内外から伝わり、次第に買収に応じてもらえるようになる。
昭和60年体験実験館(ファームイン)の建設に当たり、実地調査。類似施設8ケ所を見学。うまく運営しているところは一週間泊まり込み調査など、施設や、運営方法、サービスの実際を調査したり複式簿記も勉強(役場は単式)。
客を「お客さま」と呼ぶか「利用者」と呼ぶか議論。「お客さま」に決まる。
自治体の直接運営という話もあったがどうも採算の問題がおろそかになりがちであり、運営母体を町の財政から独立させ、財団法人に決定する。
財団の場合、寄付行為で定款を定める。町、農協、森林組合から代表者で理事会を構成、農林課長を事務局長に据える。商工会は法律で財団に出資ができないとのことなので、町長の推薦枠として、商工会長にも理事になってもらい、町あげての体制になった。
昭和62年…財団設立。
昭和62年…利用者は3万人弱、西日本を中心にリピーターの数が多かった。
夏期、関西の大学運動部などの合宿が毎年定期的に入るようになる。そのスケジュールの対応に追われる。
昭和63年…利用者が3万を超える。
宣伝等対応: 宣伝活動も全国主要都市で開催される物産展に参加、地元紙他に掲載してもらうためにイベントなどの話題を切らさない。イベントには、手作りソリ大会、スキーマラソン、森の匠セミナー、竹の子掘り、春夏秋冬それぞれの季節に合わせて山のように開催。
行政の立場の強みは、地域活動と施策が一緒にできること。
この施設の雇用枠はUターン者や新卒者であり、30人以上。しかし、町の人口は8,000人を割り、高齢化率も27%に上がった。