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公開したら、その途端に公共施設になる、そういうものではないだろうか。以上の点から、国家の公共性が最初に全体を考えるというのに対して民間の公共性を位置付けることができると思う」との指摘は、私(個)と公(公共)との境界線を示すものだった。

 

公と公共の違い

 

また、国家、官からみた公共性と民間からみたものとの比較が出た時点で、「公」の意味を明確化させるために、「いわゆる文化的、民族的な文脈で使われる″私と公″とは別に″民と官"、″市民と政府″というようなそれぞれの対立項が私と公という中にごっちゃに使われているのではないか。例えば、震災地において官がつくった公の施設が防災の拠点になる場合もあれば、あるいは民間病院が拠点になる場合もある。この場合、公共性というのは民と官の対立を超えるものとしてあるのではないか。逆に、今官僚の腐敗が問題になっている。これは″公を私する″ということで、非常に国民の怒りが集中しているが、恐らく官は官だけでは公共ではなくて、官も開いていかなくてはいけない。そうすれば公共性ということにつながっていくのではないか。こういうことから、公共性を官民対立から外れたものとして提起したい」といった、公共性と公の言葉の区別が提案された。

 

公の私化と私の公化

 

さらに公と私の現状分析をするものとして、″公の私化と私の公化″という現象をとらえた発言があった。例えば、情報化が進み、公の中にうごめいている私が見えるようになってきて公の権威が失墜しつつある状況、あるいは、官庁にたくさん民間人が人材として来ており、公と私のつながりが太くなっている状況が挙げられた。一方、私の公化という点からは、最近関心のあつまっているメセナ、フィランソロピー、ボランティア等に着目して、「今までの発展段階では″私″は生きることに必死であったが、現在は周囲を見回す余裕がうまれ、人間は一面体ではないということに気づいた。仕事人であり、家庭人であり、そして″公″という中に生きる本当の社会人である。まさにメセナやフィランソロピーといったものを含んだ三面体で生きたいと思うことが、本能として許されるようになったと言える」という意見が出された。さらにこれに付け加えて、企業のメセナ活動はサステーナブルであるべきで、企業のもつ体力を考慮しながら持続的に行う事が必要であるという指摘が出された。

また「官僚主義の公私混同」として、民の世界の官僚主義の存在を明らかにし、「最も非難すべきは官僚の官僚主義だが、最も排除すべきは私ベースの官僚主義である」との指摘もあった。

 

 

 

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