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公の公たるゆえんを損なう秘密主義

今田 忠(阪神・淡路コミュニティ基金代表)

 

「霞ヶ関というところには関所があって、そこにはいつも霞がかかっており、外からは殆ど中が見えない」。本フォーラムに言論界代表の一人として参加された小島明氏(日本経済新聞論説委員)のこの発言は、フォーラムでの最優秀賞であると思う。社団法人大阪ボランティア協会理事の早瀬昇氏も、行政との癒着が生ずるのは公開性がないからであると指摘した。映像・出版プロデューサーの石井信平氏は、行政情報に関連して記者クラブの閉鎖性を問題にした。

公の公たるゆえんは誰からも見えるということであるにもかかわらず、日本の公は情報の公開を極度に嫌う。もちろん、個人情報の守秘義務や国家機密の存在を否定するものではない。しかし、日本の行政の秘密主義は度を越している。これは今回のフォーラムでも発言したように、日本の官僚が公僕の意識を持っておらず、依然として「知らしむべからず」が行政の基本になっているからである。天皇の官吏であった官僚組織が第二次世界大戦後も温存されながら、官僚組織を統制すべき民主政治が行われていないために、官僚組織そのものが誰にも責任を負わない存在となってしまった。そこに、原因がある。誰からの統制も受けない官僚組織は自己増殖を続け、巨大なリヴァイアサンと化してしまったのである。

日本の民主主義はマッカーサ―が評した「一二歳」から進歩しておらず、憲法が想定している民主主義が根付いているとはとても言えない。例えば国会の審議は半ば昔の帝国議会そのままに、政府に対して議員が質問し政府委員が回答するというパターンを繰り返している。したがって、議員の間での討論は殆どみられない。政治の場でも国対政治というのが罷り通り、国民・選挙民に見えないところで政策が決まっていくのが現状で、政治・行政に霞がかかっているのが日本社会の非常に大きな問題である。

今回のフォーラムの議論は、かなりの部分が規制撤廃に関するものであった。deregulationを規制撤廃とせずに規制緩和と訳すのも官僚得意の言い替えだが、問題は規制の多くが行政指導の形で行われていることで、

 

 

 

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