そのときこそ指導者の存在感を子どもたちに印象づける最上の機会です。それでこそ子どもたちの信頼を得ることができるのです。
平常は子供たちと同レベルを装って子どもたちの自主性、自立性の養成に勉めていることは理想であっても、困難に直面したとき指導者はその解決に当たらねばなりません。
平素より指導者としての知識、見識、技能を高めておく必要があります。
子どもたちの、こうした行動の中に失敗はつきものです。子どもたちにとって失敗は経験なのです。
失敗を重ねながら総てのものを覚え体験してゆくものですから、指導者はその失敗を笑ったり叱ってはなりません。
むしろ失敗に至るまでの過程で子どもたちが努力してきたことを認め、これを誉め、更なる挑戦へと励ますことが大切です。
大人の感覚で子どもたちを判断し評価することは大きな誤りです。子どもたちの行動を詳しく観察すれば、自分自身の幼い時代がどのようであったかを思い出せる筈です。
このように自然熟の指導理念は、自由、自主、積極を尊んでいますが、総てが自由、放任ということではありません。いずれ社会人として巣立ち、次代を担う人にならねばならない子どもたちですから、少なくとも他人に害を与え、迷惑を掛ける行為だけは絶対に許せません。それは社会人として失格なのですから。
子どもたちの中に、もしそうした誤った行為、行動をしたのを発見したときは、厳しく注意する必要があります。故意によるもの、悪戯、過失とそれぞれ原因は異なっても、それなりに注意しなければなりませんが、自分で注意方法が判断できない場合、私達リーダーにすぐ報告して下さい。
最後に最も大切な事項を述べます。
それは子どもたちの事故防止に対する絶対条件です。キャンプ中は片時も忘れはならない重大で、かつ責任あることです。
私、小野田を含むキャンプ立案に関係する者一同は、綿密な調査と過去の教訓に従って、事故に対して充分対応できる計画を立てています。
しかしながら子どもたちのキャンプは、楽しく興味あるものでなければならないのです。その理由は、子どもたちは未だ体力、知力共に発達段階にあって、我々成人と同様な感覚を持ち合わせていません。成人した者は、いうならば打算的な一面があります。何かを求めるために苦労も忍耐もいとわず行動しますが、子どもたちにそれを求めるには時期が早過ぎるのです。
子どもたちの本能は、総て目前にある対象に対し、興味あるものにだけ心を動かし、行動に移してそれを知識とし、体験として育ってゆくものです。
年齢の少ない幼児ほど、その傾向が強く働いていることは諸君も見て知っていることでしょう。子どもたちは未だその延長線上にあります。