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わりました。どういうことかといいますと、イタリアに行って学んだ美術、建築様式を、まず真似たい。自分の邸宅にそういうディスプレイをやりたがるわけです。現在の美術館に行きますと、プロムナードというのですが、絵を順番に歩いて1点1点を横移動で見ていきます。ああいう絵を飾る形式というのは、それ以前はありませんで、とにかく壁いっぱいに自分の持ちものとしての所蔵絵画を飾る。いかにたくさん持っているかを見せつけるのが美術展示というか、芸術の展示のやり方でした。ところが、グランド・ツアーに行った連中が持ち帰ったものは、イタリアで始まりかけていた、移動しながら1点1点新しい風景を見ていくという視覚的な経験だったわけです。
18世紀のジェントルマンの邸宅に、大きなホールをつくるというよりも部屋が順々につながっていって、寝室、応接室、リビングルームというように通路でもって建物がつながるという形式が新たに生まれます。その部屋の壁に絵を1点1点飾っていくという形式があった。つまり、回遊型なのです。それと同時に庭園にも新しい様式が生まれます。18世紀に回遊式庭園、風景庭園(ランドスケープーガーデン)がイギリスで生まれます。これもずっと回遊していくとその場面、場面で風景が変わるわけです。水面に映る樹木だとか、建物が木陰にある建物を回遊しながら観賞するという庭園なのです。それでもって、イギリスの18世紀の美術の鑑賞、美術品はもちろんローマやナポリで見たようなイタリアの風景画を取り入れる傾向が強く起こります。
ですからグランド・ツアーは、単にイタリアのものをそのまま輸入したりもってきたりしたのではなくて、イギリスで新しい美術の鑑賞、美術のスタイルを生みだすのです。建物や庭園の様式も含みます。そのおかげで、イギリスは新たな文化の段階というものを体験することができるようになったわけです。これを考えてみますと、要するに、もしグランド・ツアーがなければ、パリの繁栄はどうであったか。もしグランド・ツアーがなければ、イギリスの18世紀の美術、建築、庭園の様式はどうであったか。相当違ったものになっていたのではないか、新しい文化を生みだすことはできなかったのではないかと思うのです。私は、旅行というものは、そういう点でいろいろな活気と流動化、活性化を生みだすもとであろうと思うのです。なぜそうなるのか。
私は、旅行を定義するとすれば「移動をする好奇心」といえるのではないかと思うのです。旅行は、運輸省やお役所の定義では、家を離れて1日以上の滞在云々というような堅苦しい定義があるのですが、それではいやでもやる行為も含まれてしまいます。しかし、旅行というのはやはり楽しみと消費の行為であると思いますから、私は、「移動する好奇心」もしくは「移動をともなう好奇心の充足」が、観光もしくは旅行の定義であると思うのです。つまり、好奇心のないところに移動と旅行は生まれないのです。そして好奇心の対象は、いわゆる観光資源というか、観光対象だけではないのです。百人いれば百人好奇心が違うように、おそらく観光資源や観光の対象も違うであろうと思います。そのうちでも、かなり多くの人たちが関心、好奇心を向けるものが、今、観光地として比較的確立しているのだろうと思いますが、観光資源とは何かは一概にはいえません。
例えば、私がイギリスにいたときに甥がイギリスに初めて来るというので空港に迎えに行きました。私が初めてロンドンに行ったときには、ロンドンだったらここも見たい、あそこも見たい、ウェストミンスターは一度見てみたい、ハイドパークも歩いてみたいなどといろいろ思っていたわけです。ところが、来た甥に何を見たいかというと、大学に入ったばかりでしたが、今からすぐハンガリーのF1レースに行くというのです。ロンドンは乗り換え地点であって、別に見たいことはない。教科書で習ってウェストミンスターだとかテムズ河だとかハイドパークは知っているが、とくに見たくはない、自分にとってはF1だ。F1がいちばん見やすいのはハンガリーのブダペストだから、そのために行くのだというわけです。
これは、全然関心が違います。おそらく、今はそういう人がたくさんいるのだと思います。好奇心、関心を異にする人たちが多様にいる。すると、従来観光資源に富んでいたという地域も安穏としていられないわけです。また、なかったというところは、それは本当にないのかということを疑ってみる必要があると思うのですが、少なくとも私は「移動をともなう好奇心の充足」もしくは「移動する好奇心」ということからすると、旅行の対象、観光の対象を考えるにはもう少しいろいろと発想を変えなければいけないと思います。
観光資源というのは、従来は風景とか景観とか町並みとか歴史だと思われてきました。しかし、今あげた若者は例外ではないようです。観光資源

 

 

 

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