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めていた。ここでも、ことが大統領令によって決着がはかられたことに注目しておきたい。このことは、10月26目の「ロシア連邦における地方自治の改革について」の大統領令(「段階的憲法改革」の時期における地方自治体の在り方を規定)において再び繰り返され、具体化されることになる。これによって91年法は、その効力を失い、以後これとの断絶の後に新たな地方自治法制が模索されることになるのである。こうした一連の措置の背景には、93年9〜10月事件とかエリツィンの「クーデター」とか呼ばれるかの「政変」があったことはいうまでもない。地方ソヴィエトの廃止も、武力による最高会議・人民代議員大会の廃止と連動するものであった。93年9月21日の最高会議の機能停止に端を発し、新たな連邦議会の選挙、新しいロシア憲法制定、その後の国家・法制の再編過程という見取図を、エリツィンは「段階的憲法改革」と呼んだ。この「段階的憲法改革」の時期に、ロシアの地方自治制度は新たな環境に遭遇することとなったのである。

この時期、大統領自らが、モスクワ市とモスクワ州について、直接にその州議会や市議会の構成および選挙について決定した。そのそれぞれの選挙規程や地方行政のあり方が、大統領令でもって決められたのである。これらによれば、モスクワ市会議は35人(小選挙区制)、モスクワ州会議は50人(小選挙区・比例代表並立制で半数ずつ)、それぞれ任期は2年である。被選挙権は市のほうは18歳以上であるが、州のほうは21歳以上となっている。州会議がふたつの選挙方式を並立させているのは、ロシア連邦の国家会議の場合と同じであるが、これを採用するにいたった経緯は定かではない。

先に紹介した「地方自治の改革について」の大統領令は、段階的憲法改革期の地方自治の組織の原則をも定めるものであったが、今日の地方自治について考えるうえで重要な論点を提示している。すなわち、地方自治を「国家行政」と「地方自治」にわけてそれをともに「地方自治」のふたつの形態だとしていたのである。「国家行政」とは、地区と州の直轄市における地方自治を呼び、その行政府の長はモスクワ州知事の推薦により地区議会が任命するとした(しかし過渡的に2年以内として、現在の長がその職をつとめる)。これは、地方自治の単位をどう位置づけるかにかかわる論点であり、大統領サイドでは地区を自治団体としない方向で検討していたことをうかがわせ、「地方自治」概念をあいまいにするものであった。この問題は現在にまで引きずられている。

一方「地方自治」は、居住区(市や町、村)において地方自治体憲章にしたがって実施されることをさす。大統領令によった「地方自治臨時規程」は、地方自治体の憲章にっいてその模範規程を州会議が定めることをうたっており、自治体の自律性について危惧をもたせるものでもあった。さらに、人口が千人未満の町や村では議会は設置されず、直接の住民集会と選挙による町村長により、千人以上の町村では5人から

 

 

 

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