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ニン的な民族自決原理に基づく非対称的連邦は、民族共和国とロシア人州との間に不平等を生むことが明らかとなったので、こんにちでは純粋に領域的な原理に基づく対称的連邦への移行が試みられている。つまり、部分的には、ロシア帝国の国家編成原理への回帰が志向されているのである。

自治体の組織形態の問題としては、ゼムストヴォとソヴィエトのいずれもがカウンシル制であったが、1991年地方自治法によって首長直接公選制への移行が宣言された。エリツィンが2期目の大統領選挙に勝つまでは首長任命制を放棄しようとしなかったため、この移行は遅れた。近年、自治体によって採択された自治体憲章の圧倒的多数は、首長公選制を採用した。これによって、ボス支配、行政府党の上意下達構造、民主主義の外観の3者を器用に繋ぐことができるようになった。

国家と自治体の間の関係としては、ゼムストヴォは、事実上、アングロサクソン型の自治体、ソヴィエト制は大陸型の極端な形態と考えることができる。この点では、1993年憲法と1995年地方自治法は明確な規定を欠いており、統治に混乱をもたらしている。

「党」と国家・自治体との関係については、共産主義時代もこんにちも、外見的・法律的には理想主義的・分権的な国家・自治体機構を裏から「党」がおさえている点では変わっていない。これを改めるためには、いうまでもなく、政権交替慣行が定着することが望ましい。また、立法活動における観念主義的傾向を改め、裏からのおさえに頼らなくともよいように、法に根ざした国家機構内の求心力を制度化する必要があろう。

(松里公孝/北海道大学スラブ研究センター助教授)

 

(注)

(1)都丸泰助『地方自治制度史論』新日本出版社、1982,p.17。

(2)詳しくは、次の近刊拙拙稿参照:“The concept of'Space'in Russian History-Regionalization from the Late Imperial Period to the Present,”Empaire and Society:New Approaches to Russian History,Teruyuki Hra(ed.).

(3)ここで述べた見解は、筆者が『熊本県市町村合併史(改訂版)』(1995)に依拠して行った熊本県についてのケース・スタディに基づいている。

(4)こんにちのロシアで追求されているTOS(領域的社会的自治)、つまり「通り」委員会、ビル委員会などは、たんなる空間的隣接性に基づいた自治体内社会組織であり、伝統的な親族地縁関係に依拠した日本の「部落」とは異質なものである。ただし、筆者は、伝統的共同体の残存の度合いにおいてロシアよりも日本の方が優位にあると主張しているのではない。それを、地方自治体の内部組織、行政の補助組織として組み込む術において日本の方が長けていたと主張しているにすぎない。

(5)ここで述べたことは、主にフランスの地方制度に該当する。連邦国家である1871年以降のドイツにおいては、帝国政府(連邦)や邦の出先機関が郡以下の単位に張り巡らされている。

(6)詳しくは、下記拙稿参照:「研究ノート:帝政ロシアの地方制度1889−1917」『スラヴ研究』No.40(1993)、pp.167−183;“Typological Analysis of Tsarist Local Government:Governors and Zemstvos,”New Order in Post-Communist Eurasia,1993,Osamu Ieda(ed.),pp.68-88.

(7)E・H・カー箸、南塚信吾訳『一国社会主義一政治:1924−1926』(みすず書房、1974)p.244.

(8)ここにおける「二重の従属」の理解は、1977年に公布されたソ連憲法第150条に基づいている。この

 

 

 

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