原案のひとつであった大統領案と対比すれば、図表6が得られる。この表から明らかなことは、1995年法が、1991年法の全国画一主義とは対照的な憲章主義(自治体の地理的領域・組織形態の選択の自由)の立場をとっていることである。
この事情を理解する上で、カナダの政治学者ジョン・ヤングの見解が参考になる。ヤングは、1991年法の制定過程において既に、憲章主義、すなわち自治体に選択の自由を与えようとする志向と、国家機関と自治体の間の関係、また自治体内の立法・執行両機関の間の関係を国法によって規制しようとする志向(いわば、地方自治を上から植え付けようとする志向)とがバーター関係にあったことを指摘した(17)。つまり、「選択の自由・イコール・より民主的」とはならないということである。自治体に選択の自由を与えれば、既存の国家・自治体関係、立法・執行関係がそのまま固定化されてしまう危険性があるのは言うまでもないことである。日本の地方自治法も憲章主義をとらず、地方自治を上から植え付ける立場をとったのである。1991年法の検討過程においては、「すべての権力をソヴィエトへ」時代に現出した無政府状態にどう対処するかが地方自治法の課題とされたので、憲章主義は多数派とはならなかった。
実際、1996年地方自治法の憲章主義を、憲章主義の本場アメリカ合衆国のそれと比べると、決定的な相違がある。アメリカ合衆国の場合、普遍的な行政単位としてのカウンティがあるため、住民は、自らがそれが必要だと認めるまで、憲章を結んで自治体を形成しなくともよい。逆にいえば、憲章の締結が争点になった時点では、多くの住民がある程度の関心を抱いている。ロシアの場合、1995年法の採択後、義務的・キャンペーン的に憲章の締結が追求されたために住民の関心は盛り上がらず、その結果、多くの憲章は住民の意見よりも地域のエリート間の力関係を反映したものとなった。政治学者にとってはこれは面白い分析対象だが、民主主義の視点からは望ましいことではなかろう。もっと悪質な例としては、チェリャビンスク市行政府が行なったように、わざと住民投票ぎ