された。そして、1790年から1800年までの10年間をかけてDCが建設された。ただし、2つの州から連邦政府に委譲されたのは、DCに関わる州政府の統治権のみであり、土地や建物等の所有権は委譲されていない。したがって、首都における政府機関等の公共用地を取得する必要があるが、連邦政府はDCの最終的な境界線を確定する以前に土地権利者との直接交渉を通じて公共用地を取得した。
DCの建設は、特別の法人を設置せずに連邦政府が直轄で行った。その際に、大統領が任命する首都の都市計画の監督と首都建設推進の任務に当たる3人制の委員会を特別の職として設置した。
首都建設に関わる財政負担に関しては、首都における政府機関等の用地を買収する際に、資金確保のための増税はせずに、DCの行政を担当する委員会が連邦政府の保証する公債を発行することによって資金を調達した。
したがって、DCの建設は、連邦政府直轄の委員会が主体となって推進され、その資金は連邦政府の保証する公債の発行によって賄われたことになる。ただし、メリーランド州とヴァージニア州は、首都を誘致する際に、土地の割譲のみならず、公共建築物の建設費に関わる前渡金も支出しているので、この部分については、誘致する州が負担したことになる3〕。
3 DC発展の経緯 4)
前節では、DCの建設の経緯をみてきたが、DC建設から約200年を経た今日までに、DCは人口の増加と減少を経験した。フィラデルフィアの臨時首都からDCに移転した1800年当時のDCの人口は約8000人であったが、1860年代前半の南北戦争時に南軍の攻撃から首都を守るために北軍が駐屯したことや戦争中に開放された黒人がDCに集まってきたこと等により、DCの人口は約6万人から約12万人へと倍増した。このときに発生した道路や下水道等の社会資本整備の必要に対して、DCは財源の不足が生じたために、連邦政府からの財政支援を受けることになった。その結果、DCは連邦政府から与えられていた市長を選ぶ権利(1820年)や市議会議員を選ぶ権利(1802年)を柱とする自治権を制限され、1871年に市長は大統領の任命制に変わり、さらに、1874年には市長制が廃止され、以後1世紀にわたり続くことになる大統領が任命する3人の委員会がこれに取って代わることになった。これ以降、DCの財政危機が発生する
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