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(2)自治制度の再付与へ(11)

 第二次大戦後も、白人層のD.C.からの、同じ大都市圏内ではあるメアリランド、ヴァージニア両州への「脱出」が続いたこともあって、残った白人層、及び連邦議会内のD.C.における「選挙」制度一自治制度の復活についての反対は根強く続いた。
 そして、以下のように連邦レベルでの選挙権の導入が、自治制度の復活に先行することとなった。
 まず、1961年の連邦憲法第23修正により、大統領選挙の選挙人団の選出が認められることとなった。但しその数は、「もし同地区が州であったならば連邦議会に当然送りうる上院および下院の議員の総数と同数」であるが、「いかなる場合にも、人口の最も少ない州の選任する選挙人数をこえてはならない」(12)という制限があり、現在まで3名である。ついで、1968年には教育委員会(board of education)の委員選挙権、1970年には、連邦下院に投票権のない代表(delegate)を送ることが認められた。
 D.C.自体の制度の方は、ジョンソン大統領による委員(Commissioner)制廃止と、黒人市長ヴァルター・ワシントン及び、その過半数を黒人が占めた参事会委員任命という措置(1967年)を経て、1973年、連邦議会が「コロンビア特別区の自治政府及び政府再編法」(いわゆるHome Rule Act)を制定、翌年これが住民のレファレンダムにより承認され、自治制度が復活した。

(3)制度の特色一連邦との関係(13)

 まず、Home Rule Actにおける自治政府の組織について略記すると、

(1)市長一住民による公選(§421ff)、とそのもとにある行政組織

(2)市議会(council)一同じく議員(comcillor)は住民の公選、うち議長を含む5人は全市域から、8人は区(Ward)から選出(§401ff)

(3)近隣地区諮問委員会(Advisory Neighborhood Commission)一市政諮問機関として設置、委員は、公選からなり、裁判所についても、従来の連邦裁判所(「はじめに」参照)に加えて州裁判所に相当する、SuperiorCourt(一審)とD.C.Court of Appeals(上訴裁判所)が置かれている(§431ff、但し創設自体は1970年でHome Rule Actに先行した)。

 長と議会の関係については、いわゆる「強市長制」がとられ、市が制定する法(Act)について、議会の議決に対する長の拒否権及び、議会における2/3による再議決

 

 

 

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