イ 人頭税(コミュニティ・チャージ)の導入と廃止
しかしながら地方公共団体と中央政府の対立は、GLCと6大都市圏県に限定されなかった。GLCと同じように労働党極左派に支配されていたリバプール、あるいはロンドンのランベス特別区でも同じような対立が見られた。
ここで問題となるのが、すでに述べたようにイギリスでは地方税が資産課税であるレイトに限定されていたことである。一般に地方公共団体が中央政府と対立して高福祉・サービス政策を採ってその独自の政策を追求する場合、当然ながら自主財源に頼らなければならない。つまり、その地方公共団体の住民は、1)中央政府の政策と対立する高福祉・サービス政策と高い地方税か、あるいは2)中央政府の政策と協調する低福祉・サービス政策と低い地方税か、いずれかの組み合わせを、選挙を通じて選択する。ところがイギリスの場合、地方税がレイトに限定されていたために、地方公共団体が中央政府の意向に反して独自の高福祉・サービス政策を追求した場合でも、高い地方税は一部の(そして、資産課税であるために富裕な保守党支持層の)住民および企業の負担となり、高福祉・サービスの受益者である労働党支持者への影響は少ない。
このような一部住民による負担の問題、そして資産課税のみでは自主財源として少なすぎるという問題は、はやくから地方所得税ないし地方付加価値税を導入すべきだという議論を生んでいた。しかし、国税と財源を共通する地方税の新設には否定的であった保守当党も、また自らの支持基盤に有利なレイトの廃止には消極的であった労働党も、ともにレイトの改革には消極的でありつづけたのである。[13]
さらに、地方公兵団体でも支出削減を行って「小さな政府」を実現することを目標としていたサッチャー政権にとっては、地方所得税などの導入によって地方の課税べ一スを拡大することは、必ずしも目標実現に結びつかなかった。そこで、まず政権獲得直後から、国庫補助制度を変更し、地方公共団体の標準支出額を算出して、それを超過する団体への補助を削減するという政策を採った。
しかし、この超過支出団体の多くはレイトを引き上げることで減収分をカバーし、地方公共団体の支出削減という目標は達成されなかった。そこで、1984年、レイト課税制限法を制定し、それまで地方公共団体の課税自主権であるがゆえにもっぱら地方公共団体の決定によって決められると観念されていたレイトに、